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小山田圭吾さんの公式発表について

先日、小山田圭吾さんが公式HPでいじめ問題について発表されました。

正直、ショックを受けました。。

とは言え、いじめ問題については前回のまとめで推測した内容がほぼ答え合わせのようになっていたので、そこは行ってしまった事実と向き合い、ゆっくりと休んで、また音楽活動をしていってほしいです。

自分がショックを受けた、というのは、バンド解散後の自分の作品に自信がなく露悪的な言動に至ったという一文でした。私はその文章に衝撃を受け、涙しました。

いつだって時代の一番カッコいい音を彼なりのセンスで切り取って、丸々一つの作品としてアルバムを発表している彼がそんな葛藤をしていたとは思いませんでした。

振り返れば、あの当時小沢さんがフリッパーズのことをNGにしたことに対し、小山田さんはインタビューでも小沢さんやフリッパーズのことをよく話してる感じがあって、解散後に知ったフリッパーズが好きだった私は、小山田さんのインタビューのどこかに「フリッパーズギター」「小沢健二」という言葉がないか探して、見つけるともうそこにいない二人を思い浮かべてワクワクしていました。

けれど自分はとても残酷なことを求めていたのだ・・。

きっと、小沢さんは解散後、しっかりと道筋つけてメジャーに歩いていったあのとき。。

小山田さんは解散した必然性がないと山崎さんに言われていたりして・・なんか・・突然一人になって葛藤していたのに本当にゴメン。。という、気持ちでした。。たぶん自分のイメージを殺したくなったのだろう。

よく考えると、フリッパーズギターも一度死んでいたのだ。

ーでも、「DOLPHIN SONG」に”いるかが手を振ってるよさよなら”って一節がありますよね。これってネオアコに対する決別的な(笑)
小沢 するよねぇ(笑)1曲目だしね・・きっとそうなんじゃないんすか。
ーうん、それで最後の「THE WORLD TOWER」で”僕等は死んでゆく”っていうのがあるでしょ。これっていわゆるパブリック・イメージとしてのフリッパーズ・ギターっていうのを抹殺してるような感じがしたんだけど。
小沢 凄まじいぞ(笑)確かにね、このアルバムのおかげでイメージとしてのフリッパーズ・ギター、ちょっと危ういんですよ。
小山田 そこら辺今食い止めるのに必死なんですけどね。 
ー何かはぐらかされてる感じがするなぁ。。
小沢 いや、でも基本的にはこんなアルバム作っちゃったんだから・・丸見えでしょ。
小山田 答えはもう見えている。                   
小沢 まぁ確かにこのアルバムを出せば殺すなって作ったときに思ったけど。でもそれは無意識のレベルでのことだから。
小山田 だから、やってる以上全てが関与してくるっていうのは、しょうがなくあるからね。ほんと、どうしようもなくくだらない事も含めて。
”引用:FOOL’SMATE 1991年 8月号より”


小沢さんは完全に殺したフリッパーズをあとにして、ソロになる。一方小山田さんはそのフリッパーズの亡骸がずっと横にあった。

小沢さんの評価とフリッパーズの再評価があがると、その亡骸のそばでフリッパーズを語っていたのは、小山田さんだった。小山田さんは死んだフリッパーズの横でコーネリアスとして小山田圭吾が誕生したとき、間違って「小山田圭吾」というイメージをぶっ殺してしまったのだろうと思う。。

ただ、彼だけがそれに悩んでいたのかと言えばそれは違う。小沢さんも葛藤していた。彼は一定のクールで過去を切り捨てているように自分には映る。

彼は3rdあたりから、王子様、オザケン、といったイメージを殺したく仕方なく、殺しきれずに渡米した。渡米後発表した、「Eclectic」でそれらを完全に殺した。

そして、「毎日の環境学」では、オザケンと呼ばれた当時、音楽番組で「J-pop界の純文学」と呼ばれた、歌詞を殺した。私はこのことはショックであった。個人的にやはり彼の場合は言葉の人という印象であり、言葉にどうしても注目してしまっていたが、それらと決別して自己の活動や音楽としての評価。彼もまた死んだフリッパーズとオザケンの亡骸の横で「小沢健二」というイメージまでも殺しそうになっていた。。

今、彼は当時の「オザケン」の楽曲を演奏しつつ新曲も発表していて、私は思う。今の彼はゾンビか生き返りなのだと(笑)

今回、「コーネリアス」のイメージも完全に死んでしまったけれど、きっとよみがえってくるさと思っています。

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