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建具屋廃業から四半世紀

高校卒業後の進路を決めるとき、
そして、父が急死したとき。

二度あった家業を継ぐ機会を見送り、
店をたたむことに。

父の築いたものを失くしてしまったこと
店の名前が消えてしまうことに
罪悪感のようなものを感じました。

ここまでが前回でした。

父の死から四半世紀。
中小企業診断士の資格を取り
独立しました。

父と同じく自営業です。
母が生きていれば反対したでしょう。

独立に際して、
かつての父の店の屋号だけでも
復活できないかと、
自分の事務所名にすることも
考えました。

しかしながら、
中小企業診断士の事務所の名前が
建具屋の店名では、混乱を招くし
自分が商売上も苦労するだろうと
諦めました。

やっぱり屋号さえも残せない…

独立してしばらくしたころ、
沖縄の離島にある木工所を紹介され
中小機構のアドバイザーとして
訪問しました。

訪問時は社名から、
木製の小物を作っている会社
という認識でした。
製造方法も機械で量産しているのでは
と思っていました。

ところが。

工場をのぞかせていただくと、
子供の頃の記憶がブワーっと
蘇ってきました。

まず、工場の中へ入った時の匂い。
子供のころ遊び回った自宅兼工場の
あの匂いとまったく同じだったんです。

そして並んでいる機械。
家にあった機械とほとんど同じ。
違うのは電子制御になっていること
ぐらい。

仕掛中や出来上がった製品を
立て掛けてある景色も同じ。

この会社では、家具が中心だけれども
建具もやるんだそうです。

ただ一点、違うところは、
アルミサッシがないこと。

木工だけで経営されているんです。

「できるんだ・・・」

四半世紀前に、私が

「もう無理だろ」

と思っていた木工で、
現在もしっかりとした業績をあげて
らっしゃるんです。

この続きは次回。

最後までお読みいただき
ありがとうございます。

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