好きな人の好きなところ?

もし自分に付き合っている相手がいるとして、あなたは相手のどこが好きなのだろう?
笑顔?気配り上手なところ?男らしいところ?
この答えによってその人が認識している相手の姿が浮かび上がってくるように思う。今回のキーワードは「情報の解像度」である。

先日聞きに行った元wired編集長の若林さんのトークショーで、「固有名詞っぽい」という単語が持つ情報の解像度の高さについて語っていた。
雑誌で広告を取るためには読者層のペルソナの設定が必要だ。ペルソナとは「30代男性、IT系の仕事をしており、休日は家で過ごすことが多い」など、言ってしまえば要素の集合体である。彼はペルソナから読み取れる情報の解像度は低いと述べていた。一方で誰かを「村上春樹が好きっぽい」という表現した時、うまく言えないが、なんとなくその人がどんな人なのかイメージが湧くのではないだろうか。彼は後者の表現を解像度が高い情報と述べていた。ペルソナは広告代理店などで用いられており、インターネットが普及して供給者とカスタマーの1対1のコミュニケーションが増えている現代において広告のあり方も変わってきている。時代の流れ的にも「固有名詞っぽい」という決め細やかな情報のニーズが高まっているのかもしれない。

話が逸れてしまったが、好きな人の好きなところに関しても情報の解像度という観点から見ると面白い。例えばAちゃんがB君を好きだとする。Aちゃんは友達に「B君のどこが好きなの??」と聞かれる。その時Aちゃんはなんと答えるだろうか。「B君ってなんでも買ってくれるの〜」という答えが返ってきたらAちゃんから見たB君の認識はATM。「B君っていつでもどこでも迎えに来てくれるの〜」という答えだったらあっしー。少々暴力的なことを言うと、個人が要素で説明されてしまう感じが個人的な好みではない。人間ってもっとうやむやしたよくわからないものだろう。一方、「うーん、どこってわけじゃないんだけどなんか好き」って言われた時のグッと来る感じ。人を言葉で説明するの難しいけど、色々な要素が絶妙に組み合わさっていて、その集合全体から立ち上るイメージそのものが好きなの!という感じ。(私はちゃんと代弁できているのだろうか。)ああ、君はきっとその人のありのままが好きなのねって感じがして愛おしい。
実際に「もうねー、全部好きー!」という答えを聞いた時にどうしてこんなに惚気てるんだと戸惑いを感じた瞬間もなくはなかったが、彼女は彼を要素の集合体ではなく、一つのイメージとして認識していたのかもしれない。彼女は彼のイメージ全部が好きだったのだ。
なんだ。そう思ったら、ただのいい話じゃないか。