拝啓 書架より:憂国のモリアーティとDEATH NOTE・コードギアスの比較
こんにちは、マキ(@makin0makin0)です。
誰のためでもない垂れ流しは、このタイトルでやっていきたいと思います。
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今季のアニメはAmazon primeで「呪術廻戦」「憂国のモリアーティ」「進撃の巨人」を見ています。
このうちの一つ「憂国のモリアーティ」はPatriotに憂国とあてたのか、憂国にPatriotをあてたのか知りませんが、タイトルが秀逸で、
以前漫画の方は読んだことがありました。
「社会をより良くするための必要悪」を主人公としている点としては、
歴史的名作DEATH NOTEと大枠での構図は似ていると思うのですが、
いかんせん主人公の思想の押し付けが鼻につく。
漫画ではさほど気にならなかったのですが、アニメだと気になってしまうのは、映像や音楽による強調によるものなのでしょうか。
何が違うのかと考えてみると、今のところの最適解は、
圧倒的に二項対立として置かれている「必要悪」に制裁を与えるキャラにあると思っています。
「憂国のモリアーティ」は大前提として底本である「シャーロック・ホームズ」シリーズがあり、ホームズが善であることは分かっている。
その善すらも、必要悪に最終的な幕引きをもたらすキーパーソンとしてモリアーティがあらかじめ配置したものだと言う予定調和が、
「モリアーティ一強」となってしまっていて面白くないんだなと思っています。
DEATH NOTEもやはり夜神月とLの追いかけっこが面白く、Lが死に、夜神月が防戦一方になっていくと少し面白く無くなっていったと感じているタチなので…
では、「必要悪が最終的に正義の味方によって消される事まで織り込み済み」という点で、
流れがよく似ている同じく歴史的名作コードギアス 反逆のルルーシュとの違いはなんなのか。
登場人物に「手段の正当性」に対する迷いがなさすぎるもしくは軽薄であるところが、
どうにもその口数の多さに嫌気を覚えさせてしまっているような気がします。
まあこれは、二次創作の限界ではあると思うのですが。
モリアーティがライヘンバッハの滝で死ぬと言うことも、結局ホームズが勝つと言うことも分かっているわけですから、
「モリアーティのかっこいいところを描きたい」みたいな考えだと限界があるのかなと思います。
とはいえ、絵が好きなのと今季見ている他二つが重すぎるので、
おやつ感覚で今後も見続けると思います。
※あくまで個人の感想であり、なんらかの団体や組織の考えを代表しているわけでも、この感想が絶対正しいわけでもありません。
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