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6月17日(月)~6月23日(日)

『三行で撃つ』(近藤康太郎/CCCメディアハウス)を読み終えたことで、読書習慣が新しいフェーズに移ることを期待したが、自分で意図的に変えないと何も変わらない。考える時間がないことが問題だと思いつつ、とにかく15分読むことを続ける。

6/17(月):『死に方のダンドリ』(ポプラ新書)
15分読書×4ジャンル+1時間の読書は最低ラインだという近藤康太郎さんの説にのっとり、本文はまだ読んでいないが手元にはある『百冊で耕す』(近藤康太郎/CCCメディアハウス)の巻末に掲載された百冊選書を確認したところ、本棚に並んでいる本が何冊かある。これを再度読み直すことから始めようと思って『ハックルベリイ・フィンの冒険』(マーク・トウェイン/新潮文庫)を開いて驚いた。字が小さい。奥付を確認してまた驚いた。私が持っているのは昭和62年9月の版だった。いつ読んだんだ、私。百冊選書の項を再度見直すと、2018年に岩波少年文庫で出た上下巻に分かれているものが推奨されている。内容は古典でも、パッケージは新しいものを用意しなければならないですね。

6/18(火):『死に方のダンドリ』(ポプラ新書)
『死に方のダンドリ』読了。1回の読書で2~3章ずつ読み進めることができた。8人の著者がそれぞれの専門的視点から「死」をテーマに、現在起こっている問題や、このままではこうなるという推計について語られている本だった。現実として知っておいて、家族のためにも対策をして、ではどう生きるのかを考えたい。

6/19(水): 『羅生門』(芥川龍之介)
古典に手を出していくことにした。『百冊で耕す』の百冊選書は「海外文学」「日本文学」「社会科学・自然科学」「詩集」にジャンル分けされていて、私は「社会科学・自然科学」が圧倒的に弱いことに気づいた。「日本文学」に『あしたのジョー』があってうれしい。これは豪華愛蔵版で持っているのだ。『羅生門』(芥川龍之介)を読む。

6/20(木): 『鼻』(芥川龍之介)
朝起きたら、私が15分読書をはじめたきっかけになったライター・はせべあつこさんの【番外編】が投稿されていた。そこでは「読書日記にならない“記録”」だから記録でいいんだ!と明言されており、読書日記だとばかり思っていた根底が崩れた。私もこっそり「読書記録」に変える。「15分読書に向いているのは、“読みたい×読むべき”本である」との考察も参考になった。読むべき本に限定すると苦しいが、“読みたい×読むべき”本であればわくわくする。手元にある『羅生門』(芥川龍之介)も相当古い文庫で、『鼻』が収載されていたので読む。

6/21(金):『杜子春』(芥川龍之介)
今週は15分くらいで読める短編を1編ずつ読むようにしてみる。週の半ばから古典(日本文学)に移ったが、手元にある本だけだと行き詰まるように思う。でも、再読は新鮮。太宰治の『女生徒』をまた読みたくなってきた。手持ちの文庫には『羅生門』『鼻』の次に『杜子春』が収載されていたので読み始めたが、15分で没入するのが難しい。『羅生門』を読んだからいいとするか。

6/22(土):0分
終日シンポジウムの仕事があって、久々の0分読書。シンポジウムでは最先端の研究のお話が聞けたので楽しかった。文理融合どころか、異分野融合が必然なんだなとわかった。たぶん自然科学系の定番だと思われる本が何冊か話題に上がっていたのでメモしてきた。

6/23(日): 『百冊で耕す』(近藤康太郎/CCCメディアハウス)
『百冊で耕す』を読むべきなのではないかと、本を開いてみた。冒頭に「本は百冊あればいい」と書いてあった。「自分にとっての百冊を選ぶために」「一万冊ほどは手にとらなくてはいけないかもしれない」とあった。自分にとっての百冊を選べるようになるために本を読むのだと考えると、ゴールが遠くて気が楽になる。

【振り返り】
古典(といっても近代日本文学だが)読書に手を出した。一冊読了することで本の切れ目が読書の終わりにならないように、とりあえずは15分を続けていこうと思う。

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