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6月24日(月)~6月30日(日)

定番の読書を進めるにあたって『百冊で耕す』(近藤康太郎/CCCメディアハウス)を読んだほうがいいのでは?と思いはじめ、結局、今週はこの本を読み進めることになった。

6/24(月): 15分 20ページ
先週は15分くらいで読める日本文学の短編を読んだが、15分読書を進めるにあたって『百冊で耕す』に何が書いてあるのか気になり、すでに手元にはあるので読み始めた。進捗を残すタイプの記録に残します。そうだ、先週から「読書の記録」になったんだった。今日読んだ第1章には読書のスピードについて書かれていた。

6/25(火):15分 24ページ
同じ著者の本を読むのが3冊目だからか、速読とはいわないまでも、すいすい読める感覚がある。家で読んでいるからか。2章目は本を買う/借りるについて書かれていた。本を読むという行為は肉体的で運動に近く「体を使う」と書かれていた。たしかにそうで、15分読書を始めてから、この感覚が戻ってきた。仕事柄、本はずっと読んできた(と思っている)けれど、それは資料として読んでいたのであって、“読書”からは離れていたんだなと実感した。『百冊で耕す』を読みつつ、別の読書の時間を確保しなければ。15分並列読書の必然に合点がいった。

6/26(水):13分 17ページ
1分も読まないところに「プロのライターに、積ん読は厳禁だ」書かれていた。しかも前作『三行で撃つ』にも書いたし、訂正する必要もないことだと書かれていた。厳しい。まずは仕事部屋の整理からしなければ。“積ん読=かっこつけ=「理想」を持つもの”の公式からは掛け離れた部屋になっている。

6/27(木): 15分 10ページ
4章A面という項を読む。すごく大事なことが書かれていると直感するが、理解が進まず、二度読む。サブタイトルは「<知る>と<分かる>の違い」だ。あとでもう一度読みに戻ってこよう。

6/28(金):15分+アディショナルタイム 19ページ
「本を読むとは、本のシノプシス(梗概)を言えることではない」とあった。読んだ実感は空気で覚えているという項の『武器よさらば』のくだりを読んでいたら、この感覚はどこかで得たことがあると思い始める。本を置いて、漫画の本棚へ行き、高野文子さんの『黄色い本』を開く。ああ、これの、この絵が浮かんだった。確認して、本に戻る。本を読んだ実感の空気が、どちらにも立ち上っているのだと思う。読書にはアディショナルタイムがつきものですね。

6/29(土):15分 15ページ
『百冊で撃つ』は読書術の本だから、文中にたくさんの本が出てくる。読みたい、読まねばと思った本をメモしながら読み進めているが、この読書のスピード感と時間の使い方ではまったく追いつかない。老後は読書三昧ね♡なんて、ないのだ。焦る。

6/30(日): 15分くらい
焦ったまま次の項目を読むことが難しく、再度、はじめにと目次を眺める。これまで読んできたところにも、焦らなくていい方法が書いてあるのではないかと思ったからだ。そうしたら帯の裏表紙側に書いてあった。本文に書いてあるらしいので、落ち着いて読み進めいこうと思う。

【振り返り】
今週はとにかく記録をまとめる時間がとれなかった。毎日読んで書いておくだけ、を実行するのは難しいですね。


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