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閃光

生きてきて
いろんなことに時間がかかって

どれだけ時間がかかったとしても
せっかくそこに辿り着いたとしても
その時の心が違えば、それを選べない。

なんで選べないんだ、って、
頭ごなしに自分を責めることもあった。

15歳頃までの方が無理してただろうな。
山は山。山を山として見るべし。

選べないのに無理に選んだりしてた。

結局、精神も身体も壊してばかりいた。
そんな15歳までだった。

まだその意識や生き癖は潜伏しているけど、

自分を本来へ還すため、あれこれしてきた。

自分のわがまま叶えてあげましょうスタンスでいられるよう、なったのかなぁーまだまだだね。

人生練習中はずっと続くだろうし、

人間て動物の周りで起きていることは事象にすぎない。そう思うし、

動物的に生きることをもっと体感したい。
気持ちいい!美味しい!これがいい!今!

直感や感覚、閃き、本来それらを持ちながら人は産まれてきているはず。

子どもと話していると本当にそれを実感する。

なんで、とか、
そうだから、あーで、これが好きだから、
とか考える間もなく、

その時の感じをまんま今、
瞬発的にバンバン出してくる!

それぞれ
その時でしかないシンプルな閃光を放ってくる。

子たちの感性、魂の感覚みたいなのがまあ、ほんと大好きで、
どこか心の通じ方は心の友だとさえ勝手に思っている。

自分は立場として音楽講師だから、
心の友に思う想いは、そっと。

子の持つイメージやインスピレーションの無限大に対し、
大人ができること
音楽を共にする今
何を伝え何を引き出すことができるのか。
毎回考えさせられる。

なんだろうな、
話がまとまりそうでまとまらないが、

15歳頃までの私はとても寂しかったし
子供らしくいられた時期は少なかったとも思うし
大人の目を気にしながら生きてきた節はあって
甘えられる時に甘えられなかった。
わがままでいいはずの幼少期
私が周りの大人にとってちょうど良いこと出来ることをまず考えていた。

実際、後から無理が生じたよ、
こんなに本来わがままで面倒臭い人間なんだから。そりゃそうだ。

だからというワケでもないが、
子どもには思うままわがままにその時を過ごして欲しいなって思う。

イメージやインスピレーションの無限大、
その尊さをできるだけ守りたいし支えられたらと。

同様に、自分に対しても。
自分さん、御贔屓に。


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