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Ned Doheny『Between Two Worlds』

Ned Dohenyについては、「日本人好みの音楽」を作るミュージシャンの一人として語られているのをよく見かける。何より、私がNed Dohenyをそのように語ろうとしている。海外未発売、日本でしか発売しなかったらしい『Prone』は、暗く地味で、しかし噛めば噛むほどキビキビとした気分にさせてくれる、素晴らしいアルバムだ。

つい最近、冬の寒さが厳しくなる中で気落ちすることがあり、Apple Musicでサブスクリプションの楽しさを享受し始めた私は、浴室にJBL GO 2を持ち込んだ。浴槽に浸かると、ライブラリに追加しておいたNed Dohenyの複数のアルバムから『Between Two Worlds』を選び、目を閉じた。

少しずつ整理されていく心の中とは裏腹に、私は、流れてくる音楽への違和を感じ始めているのに気づいた。

連続するフェードアウトや、他のミュージシャンの曲を連想させる曲調のことが記憶に残る。演奏構成のシンプルさが、音色としての物足りなさとして耳にまとわりついてくる。

早く、このアルバムの最後の曲が流れ、終わってしまえば、一生このまま再会することはないだろうと。残り少ない俺の人生において、二度と会うことはない。

Ned Dohenyの音楽が過去のものと異なっているようには感じない。であればなぜこのような気持ちになってしまったのか。

それは、少し前に書いていた「少しずつ整理されていく心の中」が、偽りだったからではないだろうか。

そう考えている。


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