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私とミスタードーナツ

 幼稚園生の頃、ミスタードーナツに行きたい!とよくねだった。決してドーナツが食べたいからでなく、いや、もちろんドーナツも大好きだったけれど。
 私の心をドーナツよりも惹きつけてやまなかったもの、それはメリーゴーラウンド。お店の中央にどーんとあって、どうしたら乗れるの?とお店にいる間中、見つめていた。
 飾りで乗れないことを知った小学生の頃も、アメリカンな雰囲気に憧れてよく連れて行ってもらった。店内のジュークボックスを見つめ、トレイの紙を持ち帰って家で眺め。箕面の1号店に行ったのよ、と話す母はココナツチョコレート、弟はグラタンパイ、父はオールドファッション、私はD-ポップ。それぞれ好きなものを食べる日曜日の午後。
 父の転勤で遠い地へ引っ越し、再度の転勤でようやく行けると思った時、メリーゴーラウンドのお店はもうなかった。喪失感と悲しみが訪れると同時に、家族でミスタードーナツ、の私の子供時代は去った。
 高校生の頃、懐の都合により100円セールのドーナツひとつとひたすらのコーヒーおかわりで、友達とおしゃべりをした。24時間営業だった大学生の頃には、朝までしゃべり倒したことも何度か。あの愛しい時間を過ごした友達とは相変わらずの付き合いだが、通っていたお店は、今はもうない。
 結婚して夫と2人、新居を探す帰りに寄ったのは、今住む町の当時のミスタードーナツ。カフェオレを飲む夫の写真が残っている。しかしそのお店は、今はもうない。
 今、移転したこの町の新しいミスタードーナツのお店に、私と息子、時々夫の3人で行く。私はゴールデンチョコレート、息子はポン・デ・リング、夫は期間限定のもの。好みはばらばら、でも、それ食べたい!とドーナツを分け合う。
 通ったお店はなくなったり、憧れや好きも変わるけれど。ありがとう、ミスタードーナツ。誰かと一緒に食べるドーナツは、今日も幸せの味だ。

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