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対極性と真の多様性(グリーン段階)

先週末の体験はとても大切だったので備忘メモ。当人以外はなんのこっちゃだと思いますが、何か受け取ってくださる人もいるかもしれないと思うので共有します。
今回学んだのは対極性と真の多様性(グリーン段階)ということです。

金曜日に気づき、思い立った、
私は隙間があるとつい何かで埋めようとする。
特に時間的に空間がある。つまりヒマなのが怖い。意味があることをしないといけないと思ってしまう。
それはとても疲れることで、体も頭もついていかないから結局楽にできることで時間を埋めようとしちゃう。
漫画見たりネトフリ見たり大してお腹空いてないのになんか食べたりしちゃう。
そしてあー無駄なことしたと後悔する。
読まなきゃいけない本もあるのに。こぎん刺し全然進んでないのに。進んで無い仕事片付けようと思ってたのに。
これは取り組むべきシャドウかも知れない・・・。

でも無駄じゃ無いことってなんだ?意味があること?意味ってなんだ?私たちが生きているこの世界に意味なんて無い。意味があると思うのは幻想だ。この世界は意味無い時間の積み重ねだ。この世界はただある。それだけのことだ。
私にも生きる意味なんて無くていい。意味ある時間を求めなくていい。からっぽでいい。ただここにいればいいんだ。
それを実感する為に本当に何もしない日を作ろうと決めたのが金曜の夜。

生理現象以外のことは何もしない。
健康の為になることも何もしない。それをしなかったからと言って死ぬわけじゃなし。
pcもスマホも電源オフ。
仕事も家事も一切しない。本も読まない。音楽も聞かない。絵も写真も見ないし描かない。
お茶だけ飲んで何も食べない。

朝、風呂に入って体を清めあたためて、
1日飲む分のお茶を準備したら何もしない。
ずっと瞑想&眠くなったら寝ちゃおう。
何もしない自分、何もしないと飽きる自分を受け入れよう。その先に何があるのだろうか?

と思って土曜1日ホントに何もしなかったら、何が起きたかというと、実は起きていられなくてほとんど寝ていた。
朝風呂入ってお茶準備してほんのちょっとだけ瞑想して、んー少し寝足りないかなと思ってベッドに戻ったら爆睡。
お昼頃起き出して、これから出かけるという娘と少し話してまた眠くなってベッドに逆戻り。
ハッと目覚めたらなんと18時。爽やかに目覚めました笑。

起きている時は色々なことを思い出した。
このヒマな感じなんか入院してた時に似てるなあとか。あの時は散歩したり絵描いたりしてたなあとか。今日は意味あることはしない日だから絵は描かないけど健康の為じゃないボーッとする散歩なら今日やってもいいかなあとか。まあ結果寝ちゃってやらなかったわけですが笑。

小さい時は眠れなくて布団にじっとしている時間がホント辛かったなあとか。
もっと小さい時は怖くて1人で眠れなかったよなぁとか。
私自分のことをショートスリーパーと思ってたけど単に眠るのが怖いだけかも。意味なくネトフリ見たりしちゃうのも寝るのが怖いだけかも。なんで寝るの怖いんだろ?
寝る時幸せーって思って寝るといいって誰か言ってたけど、そんな幸せな入眠の記憶無いかも。

スマホもpcも本も見ないから、やたらパッケージとかの文字が気になる。いちいち全部読んじゃう。ウザい。普段気にならない文字がウザくて仕方ない。
自分に禁じているものを見るのってホントウザいんだなあ。

後は歌ったり。ふーけゆくーあーきのよーとか。普段カラオケとか行かないのに歌うもんだなあ・・・。

夜はお風呂入ったあとベランダに座って涼んだ。
帰宅した娘と少し話してまた寝た。
これがオチのない土曜日の顛末です。

因みに次の日、日曜日は朝4時から起き出して気が済むまで片付けやらプランターの手入れやら料理やらして、7時半に藤沢に向けて出発。藤沢の吉原夫妻の循環畑で学びの1日。
午前の畑のワークについで午後は鈴木則夫さんに対極性と真の多様性について学ぶ。「増谷さんは静と動の対極を実践したんですね」と言われて納得。優子さんには「今朝真紀さん着いてすぐ『畑見たい』と言ってアクティブでしたよ。」と言われ更に納得。動を追求しても動きは良くならないんですよね。前日静を極限までやり切ったから今日動が振り切れる。そうやって極を行き来してバランスを取るのが中庸なのだそうです。真ん中にいるのが中庸と思ってた!間違った認識って怖い。
片方の極を一生懸命やって究極まで効率化したり利益を求めたり成果を得ようとするのがオレンジの発達段階。
片極だと立ち行かない事に気づき、反対極を取り入れるのがグリーン以降。真の多様性だということも教えていただきました。

その後は嶋原さんの催眠セッション。後半寝ちゃってほとんど覚えてないのですがパラレルワールドの私から「愛」をもらってこちらからは「成長」を渡してきました。愛と成長が対極にいる私のメタファーなんか歪んでる気がする。

大変実りある週末でした。普段やり慣れた価値観と対極にあることを体感するのは私にとってとても大切な体験です。
そもそも家中の植物を枯らしまくる私が吉原夫妻の循環畑での学びに参加してることが対極。こうやってダイナミックにバランスを取ることが必要なんですね。

思えば日本には対極性のことわざとか結構ある気がする。
「損して得取れ」とか「急がば回れ」とか・・・。

皆さんの中の「対極性」ってどんなことでしょうか?
やり慣れている方法、いつもやってしまうことがありますか?
もしそれがあまりうまくいっていないなと感じていたら、その対極にある方法を選択してみませんか?

ダラダラ文章は以上です。
写真は我が家のプランターです。
枝豆やらネギやら春菊やら小松菜やら植わってます。どうか枯れないで。


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