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#51 アフリカン・サファリ-ナミビア三人旅

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

レンタカーで一週間かけて、ナミブ砂漠、ヒンバ族の村、エトーシャ国立公園を駆け巡ったナミビアの旅。わたしにとっては、日本人同士でガッツリ行動を共にしたのもこの旅で初めてのこと。

ナミビアは観光地にアクセスするための公共交通機関がほとんど無いため、旅行会社のツアーに参加するか、自分でレンタカーを借りて周るしか方法はない、ということは事前に調べた情報でわかっていた。ひとまずマラウイから南アフリカのケープタウンまで来て、日本人の多い有名な宿に入ったわたしは、なんとか同時期に一緒にツアーに入ろうと考えている日本人メンバーに巡り会えれば…と期待していた。

免許を持っているとはいえ、ここ10年以上全く運転しないままゴールドにまでなってしまったわたしは、例え自動車を借りたとしても交代でドライバーの役割を担うことができないため、はなからレンタカーという線は諦めていた。
ところがここケープタウンの宿に入ったその夜、明後日にナミビアへ移動して、そこからレンタカーで一週間かけて上記のコースを周ろうと計画している日本人男性2人と出会い、せっかくだから3人で一緒にどうか?と声をかけてくれた。彼ら同士も一緒に旅をしている元からの友人ではなく、数日前にこの宿で出会ったばかり
だという。こんなうまい話がにわかに転がり込んでくると、逆に最初は戸惑ってしまったけれど「ここは変に迷って判断を保留するところではない!」と腹をくくり、その夜のうちにわたしも加わる返事をした。

こうして出会ったばかりの3人が、一週間、寝食を共にすることになった。こんなことは長旅をしていれば、おそらく珍しくも何ともないことだろう。けれどもわたしの場合、ここまでのところ、なかなか同じルートを目指す日本人の旅人に出会う機会がなく、長時間一緒に行動する機会もなかったため、正直、かなりの不安もあった。一週間、ケンカをすることまでは無いにしても(お互い大人だし…)、気まずい雰囲気になったり、嫌な空気が流れることがあったらどうしよう…と。

これまでも現地の人と一緒に長い時間を過ごす機会には恵まれてきて、そこではわたしの英語の拙さのせいで苦労することは多々あったけれど、日本人同士の場合、日本人特有の”空気感”で苦労するのではないか…と。

ところがフタを開けてみると、驚くほど上手くいき、期待を大きく上回る楽しい旅になった。
(少なくともわたし自身はそう思っている。他の二人の本音はわからないけれど…)

一人はわたしと同年代の中学校の先生で、今は教師をお休みして世界を巡っているマサキさん。胸に大きな夢(というかかなり具体的なプラン)を抱いていて、帰国した後は、日本の教育を現場から変えていきたい、という熱い思いを持っていた。結局彼が一週間びっちり運転を担当してくれて、事故が多くて有名なナミビアの悪路を無事故で完遂してくれた。

もう一人は大学四年生の男子、コウタ君。卒業旅行で彼も数ヶ月かけて世界を巡っていた。礼儀正しいくせに、どこか天然のとぼけたキャラで、いつも場を和ませてくれる。彼が一週間シェフを担当してくれ、限られた材料とキッチン環境で驚くほど美味しい創作料理を生み出してくれた。

そんな二人の間にいて、免許があるくせに運転できず、(一応女のくせに)あり合わせの手料理ひとつご馳走できないわたしはとても肩身が狭かったけれど…、三人の中では一番年上だったせいか、いつも二人はわたしのことを立ててくれた。

この旅を振り返ると、砂漠やサファリに少数民族の村訪問など、ナミビアの見どころが凝縮されていた面白さだけではなく、キャンプやドライブの楽しさを思う存分味わうことができたことが、いっそう思い出深い。今は完全なペーパーでしかないけれど、日本に帰ったら、自分で運転をして自然の豊かな土地を巡ってみたい
(まずは地元北海道から!)と思うようになった自分に驚いているし、テントを張って屋外でご飯を作り、満天の星空を眺めながらご飯を食べる贅沢を、もっともっと味わいたい。
どちらも日本で暮らしていた頃には馴染みが無かったことで、わたしにとっては新境地。これから追及していきたいという新たな大きな楽しみを与えてくれた。

サファリの途中、コウタ君が準備してくれたソーセージと食パンで作ったサンドイッチを頬張った
車の後ろを悠々と横切って行ったキリンたち
こんなに近くで見たキリン、その足元では沢山のガゼルが草を食んでいた
初めて見た、野生のシマウマ
キリリとしてカッコいいガゼル
道路の目の前を横切って行った雄ライオン
夜の水飲み場に集まってきたゾウの集団、幻想的だった

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