芸能人の自殺と、他者を浪費するという考え

 先日、ある有名俳優が自殺したと報道された。私は彼のファンではなく、特に心は動かなかった。冷たいと言う人もいるかもしれないが、それはそれだしこれはこれ。会ったこともない人の死を芸能人だからって特にファンでもなく悲しんでたら自分が不気味でおぞましくてしゃーないのでこれはまあどうだっていい。以下に書くのは、これに伴って(まあ自殺が主題というのはちょっと違うんだけど)ハラタツことがあったから。つまりは愚痴みたいなもん。なんか知らんけどノートって誹謗中傷じゃなけりゃ何書いてもいいんでしょ。誰かの名前出したりしないから許してくれ。

友人からの電話

 さて、その自殺から数日経った頃。学生時代の友人から電話がかかってきた。この友人がまあ若干曲者というか、友人に排便事情を話したがるようなかなり変わった奴である。そういう人嫌いなので普通に困る。まあ別に変わっていようと人間性が信頼できれば友人として生きるに支障ないので、たまに連絡が来るぐらいの付き合いをしていた。ただこの時点で実は人間性が信頼できていなかったので、私からは全く連絡をしていない。理由は後述する。

 その友人は、どうも結婚がしたいらしく、彼氏もいないので相談したいという理由で電話をしてきたのだが、開口一番は「件の芸能人の自殺がショック」というのである。

 この時点で割と辟易した。ツイッターでも見かけたが、厚労省が自殺報道への対応のガイドラインを出している(気力がないので正式名称も現物も調べる余力がない)。自殺というものは伝播する。だから友人と共有したくなってはならない。しないほうがいい。自殺というのは、自殺者にとってはたいていの場合“最悪の決断”ではなく“セカンドベスト”だからだ。できれば進みたい道があり、自殺があり、死より怖い現実がある。極端な選択肢に挟まれた中間の選択肢は選びやすいようにできている。誰にとっても他人事ではない。

 人の自殺にショックを受けた、それは仕方がない。でもそれを他人と共有して発散しようとするのは、大人としてどうだろう?本人にも伝えたことだが、私たちはもうハタチの学生ではない。アラサーに片足ぶっこんだ大人なのだ。大人としての振る舞いが求められる場面は多いっつーか基本求められてる。こんなノート書くのが大人としての振る舞いかって?それは本当恥ずかしい話だけど、も~なんでもいいから書いて発散したいのだ。友人に愚痴電話かましてタンツボにしようとしないだけ許しておくれ。あと書くとセラピーになるという話があるので、誰かにぶつけないためにもセラピりたい。

芸能人は消費物か?そして、死んでもなお消費物か?

 私はこの友人について、後述する理由から既に呆れ返っていたので、そんな会話はしたくなかった。ので、「その話はしたくない」と言った。「ファンでもないし、芸能人に興味もないし、人の自殺の話別にしたくない」と。彼女はいきりたって、「彼がやっていた番組がどうこう」と語りだした。

 もう不気味の域だった。人が自殺した話を愉しげに話してやがるのだ。しかも、同情心などではなく、いかに自分がショックだったかを。友人でも恋人でもない男のことで。私は「そういうのってもはや気持ち悪い」と言った。彼女は絶句した後いきりたって(二回目)「芸能人が人生の支えって人もいるんだよ」と早口でわめきだした。どれだけそれに救われているかとかなんとか。「そういうのを気持ち悪いっていうのは言い過ぎ」だと。いやもうそれが不気味なんだけど。会ったこともない誰かが人生の支えって、それに救われるって、周囲の人間関係どうなってるんだと。確かに映画やドラマには人を癒やしたりする力があることもある。でもそれって俳優一人が為したことじゃないでしょ?脚本家や監督、いろんな人が努力した結果じゃん?じゃあ俳優が生きる支えには……ならなくない?それとも監督とか脚本家と共同で推してるの?バラエティだって放送作家がいてたいていはかなり細かく決められてるんだよ?っていうか、本当にショックだったなら後追いしてんじゃない……?今生きてるってことは全然平気なのでは?人の死をプチショックで軽々しく語る世界線の生まれなの……?人生の支えだったならもう全員死んでなきゃおかしくない……?

 まあ確かに私もこれをお通夜のタイムラインで言うほどの勇気があったわけじゃないし、自信を持って社会に発信したいって感情じゃない。ファンは死んだ芸能人の後を追えとも思ってない。ただ友人が自殺を嬉々として語ってんのは気持ち悪いって話。しかも、やめてくれという制止を一切振り切って、本人が「ショックを受けた自分」を主人公にして語っているのならば、なお気持ち悪い。

 だがここでもっと不気味な感覚を得たので聞いてみた。「え、芸能人って、そうやってみんなの心の恋人になんなきゃいけないの」。「芸能人って言うぐらいだから芸を磨いて芸で身を立ててるんだろうに、芸を評価してファンになるもんなんじゃないの」。それに対する答えは、「だってみんなの恋人になる代わりにたくさんお金をもらってるんでしょ」だった。Oh...そうなのか~~芸能人ってお金をもらう代わりにそんな不気味な役を背負う羽目になるのか~~。私日本大好きだけど芸能に関しては完全にトチ狂ってると思うよ、それが真実ならば。私、好きなアーティストいっぱいいるけど、死んでも別に苦しまない。それが例えばテロに巻き込まれたとか、強盗にあった、病気で死んだっていうのなら、不憫だなとは思う。でも代わってやりたいとは思ってないから、結局はそれも自分がそうならなくてよかったっていう安全圏からのおぞましい同情だ。だからそんなに強くは思いたくないし、思わない。

 そして恐ろしいことにも気付いてしまった。つまりこの友人、「みんなの恋人になる代わりにたくさんお金もらってるんだから、死してなおみんなの恋人として一方的に人生の支えにされても仕方ないんじゃないの」という構文を作り上げているのである。は、は~~?そんなことある~~??人権がねえ~~!人権をカネで買い取ってるつもりなのかお前。そのつもりでカネ払ってるのか?奴隷市場なのか?ダッチワイフ代わりなのか??……不気味すぎる。意味わかんねえ。

そもそもどこまで本気なの?

 こんなこと匿名でしか言えないけれども、死ぬほど悩んでいた人が死ぬほど悩んでいたことさえ知らなかった人間がその死を本気で悼むことなんかできるのだろうか。私が死んで心底嘆くのは旦那と友人(ただしコイツではない)だけだと思う。人間は来ては去っていくものなので、それでも一緒に生きていこうと思える相手ぐらいしか死んでショック~~とは思えない。同じように、仕事での付き合い、小説書いてて得てる読者だって、私が死んだことをショックショックと話していたら死してなお怖気立つ。それなら生きてるうちにできることは全部してくれ~~って思うもん。

 それとも件の芸能人は「己が死んでみんながショックを受けますように」と祈って死んだとでもいうのか。それもおぞましい話じゃないか。

 私は旦那や家族にはそれはそれは敏感である。死んでほしくないからだ。あなたが大切ですと全身で伝えている。伝えているから返してもらえるので、旦那にも家族にももちろん私にもたくさんの試練が降り掛かって、ここ数年ひどい目にあってはいるが、それでも死のうとは思わない。健全な人間関係はこういうもんなんじゃないのか。だからこの手に収まらぬどこかの誰かの死に傷ついてあげる余力はない。だからその余力を持った誰かはスッゲ~とは思うが、ともかく私にはないのだ。そしてその余力がよもや「目立つところで死んだ芸能人の死だけはチョ~悲しい」みたいな、クソバカナメクジな形でしか発揮されないものではないことを願っている。自殺した人間全員平等に悼めよ。

他者を浪費する人

 さて何度か「後述する」と言ったからには書こう。この友人、実は家族が難病にかかり、数年前私に突然連絡をよこした経緯がある。それは可哀想だと思ったし、病となると他人事ではない部分もある。だから頑張って話を聞いた。「家族がそんなことになっちゃって辛い私」についての話を。「病気の進行とか聞けない」「家事を手伝うのもいなくなっちゃうって認めるみたいで辛い」とかいう、中学生みたいな愚痴を。何中学生みたいなこと言ってんだコイツと思いはすれども、まあ家族との向き合い方は人それぞれだ。ウチは自己責任型家族なので父母が大喧嘩かましていても「知~らね」で放置している。どうせほっとけばしらんうちに仲直りしてるし。大人だから大人として解決するでしょ、と。病気になっても怪我をしてもそう。だから完全な同調はしてあげられないけど、そこまで家族が大切で仕方ないんならしょうがないと思っていた。医学部でもないし病気の知識もない私にできることなーんもねえし、友人としてできることは聞いてあげることだけだと。でもだんだん雲行きが怪しくなってきた。

 「もし難病でこれから先一緒にいられないことを思うなら、今どれだけ一緒にいられるかしかないんだよ、一緒にいなよ」「私とじゃなくて、その家族ともっと話しなよ」と言った。これはマジで心の底から言った。大切な家族が死んでしまうかもしれないとき、私は傍を離れられなくなるからだ。過去もそうだったし、離れた隙に死んでしまって心底後悔した。離れたら苦しいのは自分だってわかってたのにどうして離れたんだと。でもしょうがない、人生ってそういうモンだから。そういうことの繰り返しだ。

 友人は「そんなの死んじゃうって認めるみたいでできないぃぃぃ」「話すのも辛いのぉぉぉ」とおおんおおん泣きわめいていた。このぐらいから、もしかしてとピンと来るものがあった。コイツ、難病になって苦しむことが確定している家族が可哀想で辛いんじゃなく、家族がそんな目に遭ってる自分が可哀想なだけじゃねえ?と。イヤイヤまさかねそんなわけ、そんなうちのモンスター祖母みたいな思考回路なわけが……イヤイヤ……。我が家の祖母マジでそんな感じ。旦那である祖父が肺がんかもしれないという話になったときも、「おとうさんがつらそうで」みたいなことは一言も言わないので、さ、さすが~~!歴戦のバケモン~!と思った。とにかく「私が辛い!苦労してる!」なんだなァ。この手のモンスターが私には鬼門である。なんせ、思考回路が輪切りにしてるみたいによく見えてしまう。この手の人間が持つ、独特の会話のトーンというものがあるのだ。うまく言えないけど、あるのだ。この友人もそれを存分に発揮していた。

 それでもまあ、懸命に付き合いはした。何時間も長電話に付き合ったり(その間ずっと泣き叫ばれているだけである)ラインもした。私自身が解決しないタイプの愚痴を他人に投げ続けるのがクッソ嫌いなタイプなので、これは結構忍耐が要った。最終的には疲弊しきっていたが、ぱったり連絡が止んだので、どこか他にはけ口を見つけたのかなと思って一旦は終了した。まあ、あれだけ人に大騒ぎしといて実際にどういう病気だった、とかお礼の一言とかないのかよ、と思ってちょっとがっくりきたけれど。

 数カ月後久々に連絡がきた。家族の話はたったの一言も出なかった。ただ、「昔入ってたサークルの先輩が気になってて~」「公演やるらしいから行こうかなって」「付き合いたい~」というだけの連絡。ウッソだろお前とちょっと思ったけど、まあ立ち直ってるのなら……いいか……いいかな……ティッシュ扱いされてる感じがクソ鼻につくけどまあいいか……友達だし許そう……と思ってその時は話を聞いた。ただ散々聞いた後、「う~んやっぱいいや!そこまで好きかわかんなくなってきた!」という結論が出たので、この時間は一体……とちょっと思うなどした。

 これらを経ての、上記(だいぶ遠い上記)の電話である。正直ブロックしときゃよかった。「そもそもなんで電話かけてきたの?」という話だ。聞いたら、「え~軽い世間話のつもりだったのに予想以上に重たいこと言われて電話切りたくなってる」とのこと。「あ?切れやとっとと」。言ったけれど切られなかった。なんでや。切れよこの野郎。

 正直、これが会社の同僚ならこんなにキレなかったと思う。だって友人でもなんでもないのだし。私が話したくない話をし続けてようが、私が国内芸能人に殆ど全く興味がないという友人全員が把握してるような事実を知らなかろうが、友人じゃないんだから仕方ないじゃん。だが仮にも数年付き合った友人だし、世間話のノリで話すようなことじゃないと思うし、そもそも無理して世間話振らなきゃいけない間柄か?どうにかして自分のショックを誰かに伝播させたいだけじゃないのか?

 ちなみにご感想は「岡本太郎みたいなこと言ってるね」だそうだ。知らん。岡本太郎に詳しくないし、どうでもいいし、自分の考えが誰に類型されるかなんて興味もない。何より他人と会話していて、相手の発言を頭の中におさめた誰かの発言と照合してる作業より先にまともな応答をしろと言いたい。こういうとこ、人の話が聞けないオタクなんだよな。コミュニケーションのだめなオタクってこういうところがある。過去そういうオタクともほうぼういろいろ付き合って、結局関係性を築く価値を互いに感じないのでやめてしまっている。会話にならねんだよな。コミュニケーションのだめなオタクは一定数いるもんだし別に結構なことだが、他人とコミュニケーションが取れていないから何ともコミュニケーションが取れていないことが多い。彼女も典型で、最近読んだ本だとかの話を延々する割に、人がいろんな思考を持っていて必ず噛み合うとは限らないとか、そういう前提を全く持っていない。本は読み込まない限りどんな本でも絶対に読者を拒絶しない。映画も漫画もなんだってそう。一方的なコミュニケーション紛いのものが容易に成立する。人とコミュニケーションが取れないと言って仕事を辞めた彼女を私は悪いとは思ってこなかった。ずっと前から。でも、本人が悩みながらも問題の本質に全く気付いていないのは恐ろしい話だなと思うなどした。そして、おそらくそれらの本の作者は、そんなふうに浪費されるために本を書いたのではないだろうにと、恐ろしく哀れに思った。

あと岡本太郎に詳しくないのをまるで常識がないみたいにマウント取り出していらっとした。私は本は読むが、基本洋書が多い。国内の小説はエンタメと純文学が妙に混ざってる物が多い気がしてあんまり好きじゃないからだ(エンタメ作家が純文学に憧れるのわからなくもないけどあんま好きじゃない)。最近読んでるのはSF古典か、国内なら古典ばっかりだ。っていうか小説なんか書いてたら読む暇なくてなんなら辞書か図鑑か論文が一番多いんだが。紀行文とか。あと有名な作家も素晴らしい作家もいつだって数百数千といるので、相手が好きかどうかもわからない作家の話を「当然ご存知でしょうけど」というノリで出してくる辺り、コミュニケーションに難があるのがよくわかって胃が重たくなる。中学生の頃とか周囲にそういうオタクばっかりだったんだよなあ。っていうか誰かの考えを代弁してるんじゃなく、私は私として話をしているんだ。お前もお前としてお前の話をすべきじゃないのか。優秀なわけでもない辞典と会話してる気分なんだわ。どうしても読書量でマウント合戦がしたいんなら相手になってやってもいいが、過去相手になってやったときは最終的に「わかんない!」って言われて終わってるので、もうなんとも言えない。あとこれは完全に余計だと思うけど、年間百冊ぐらい読まないと読書家とは言えないと思うよ。私もそんな読み漁ってたの学生の頃までだから偉そうなこと言えないけども。

 「あんたさあ……」私はとうとう言った。電話切ろうか迷ったけど、言ってしまった。「家族が病気で辛いってあんなに延々電話かけたりしてきてさあ、お礼の一言もなけりゃ報告の一言もなかったよね」と。「そういうのは礼を失しているとか、友達をタンツボにしてるとか、そうは思わなかったの」と。友人は言った。「だって私もまだ言うのは辛いんだよ!メンタル落ち込んでる(事実。色々あって精神科にかかるなどしていた時期がある)友達に家族が辛い治療を受けてて三十万もかかるとかって言うのはさあ!……駄目だと、思ったんだよ……!」劇場風トーンである。祖母がモンスターなのでわかる。こいつらときたら、“入”っちまうと瞬間、劇場風トーンになるのである。自分がいかに辛いか語るとき、この手の奴らはすぐテレビの中に入り込みやがる。実は極度のナルシシストなのだ。ちなみに何に入るかは人による。祖母は突然まくし立て始めるのでよくわかる。いつもそればっかり考えてるから、可哀想な自分モードに入ると早口なのである。この友人はアニメ風です。本当、なんでこんな突然声のトーン変わるの?ほんっとにさぁ~~!辛いんだよぉ!って……野々村記者会見が一番近いです。ねえ、どっかでカチンコ鳴ってたの?思い出しただけでぞわっとくるわ。

 あと私が話したいのはそれじゃないんだな。必死に言い訳したくて遮っちゃったみたいだけど。

 「いやいやまったく会話になってないじゃんそれ。だからさあ、そういうことじゃなくってさあ。電話かけてきて、芸能人が自殺してショック~って、その話が嫌だって言う“メンタル落ち込んでる”友達に“厚労省がやめろって言ってるよ”とまで言われながらまくしたてるってのは、家族が難病で苦しんでて辛い人間の所業なの?」

 私が言ったら絶句していた。残念ながらじゃあ可哀想にねと言ってあげられないくらい、私はこの手のナルシシストに苦しめられて生きてきている。幼少期の養母的立ち位置だった祖母の共依存からの脱却、ちなみに書いてないけど父(祖母は母方なので遺伝ではない)もそういうタイプなので父の共依存からの脱却。自分の頭の中にある考えの癖を、分解して分解して叩き壊して生きてきた。すぐ自分を可哀想がる自分があまりに醜い生き物だと気付いてから、人生はとても苦しく、一方で楽しいものになった。楽しくも、やはり苦しい。全ては自責だと思って生きている。だからこそ、この手の“他人に自分の話を延々して、望む反応が得られなきゃ満足いかないという生き方”の、他人を消費物と見なすおぞましさを知っている。

 「それは言われるまで気付かなかった」と彼女は言った。「じゃあ今は悪いと思ってんの?私をタンツボにしてたことについて」と聞いた。「う~ん」彼女は唸って「わからない」と言った。

 言われても気付いてね~じゃん。

 いや、わかる。コイツ、気持ち悪いと言われたことで頭がいっぱいいっぱいなのだろう多分。もうなんとかして私に「気持ち悪いって言ってごめんねっ、結婚の話聞かせて!聞きたいなぁ~~聞きたいなァ~~~!」と言わせたくて仕方ねーのだろう多分。自分から謝ったら負けなのだろう。そうじゃないなら言われたことを咀嚼しろ。理解出来ないなら聞け。でももう何の答えも返ってこない。

 これが弊社のモンスター祖母だったらひとしきり説教かましてから電話切ってソッコー母親に連絡して「おたくのマザー今日もわけわかんねーこと言ってましてよ」「昔からでしてよ、死ぬまでほっといてやってくれてよくってよ」「いや一応面倒見てくれてた相手なんでできるだけのことはしてやりたいっすわ。どこまでやっても愚痴を聞いてくれる他人以下にしか愛されないのは辛いっすけど」とかなんとか言って終了である。でも友人だし、距離を保って付き合うんなら別にそれでよかった。人をタンツボ扱いしてこようとも、世間話として他人の自殺を扱ってても、挙げ句自分の望んだ反応が得られないと耐えられないような奴でも。いやごめん嘘、もう完全にコイツとは付き合っていけねーなとは思っていた。こっちは謝ったら負けとかそういう話じゃないのだ。この手のナルシシストは身内にいるだけで充分消耗するし、友人でまで抱える気はない。だからただ単純に迷っていた。無難に会話を終わらせて電話を切るか、もうおしまいと決めて電話を切るか。友人を切るってことはしたことがない。自分から選んで、そしてありがたいことに選ばれて付き合っている友達ばっかりだ、切る必要がみんな無いのだ。みんな自立していて、自分の考えを持っているから、たとえぶつかったとしてもお互いが不快になるということがない。相手が違う考えを持っているとわかっているから、その話は嫌だなと言われた時点で引く。自分の望んだ反応が得られなきゃ人生が否定されるわけでもないし。どうにかして他人を付き合わせようとは思わないし、その相手に友人を選ぶこともない。友人関係ってそういうものじゃないと思うからだ。

旦那ストップ

 まさかの事態だった。旦那は温厚に温厚を重ねた私以外には非情な人である。と思えばまさかでもなんでもないのか。「もうやめな、その人は君に何もペイできない」びっくりしたけど、ありがたかった。電話を切った。「友情関係だって、お互いにいい影響を与えるっていうペイができないなら続けられない」「君がどんだけ真剣に伝えても向こうが受け取れないんなら無駄になるからやめな」

 そのとおりだなって思った。結局私もこの友人(元)と同じことをしようとしてる。私はただ「迷惑をかけたらそれについては謝るかお礼を言うべき」だと言いたいのと、あと話したくないことは話してほしくないだけだけど、相手に反応を強要しているのは確か。いや全然そんなこと思ってないですけど。そういう捉え方も考えることはできる。

 翌日マザーに電話してみた。マザーはこの友人のことをちょっと話したときに、「大学で知り合った友人でしょ。その子彼氏いないでしょ。あんたを彼氏扱いしてる。ついでにきっと家族の病気のことはあんたにまともに報告してこないよ」という予言をかましたことがあったので。そしたら、「この世にはSNSっていう便利なものがあって、誰かに聞いてほしいような、でも誰かにぶつけるべきじゃない感情はなんとかして発散できるようになってる。それも褒められたことじゃないけど、感じたことを友達に電話かけてきてる時点であたしたち世代のおばさんと変わんないわね」とのこと。ごもっとも。

結局誰も彼も浪費している女なのだということ

 難病の家族も、数年来の友人も、がんばって読んだたくさんの御本も、できない彼氏も、彼女にとっては全部が全部自分を演出するための消耗品でしかないということ。他人に興味ないでしょ?と聞いたら「ウン……」と言っていた。昔からそうだよな。わかるよ。あなたと人の会話はいつもそうだった。私も他人に興味津々ってわけではないので、別にそれは構わないけど、他人から学ぼう他人はどう考えてるんだろうって意識がゼロだとコミュニケーションができないって昔DJあおいの記事で読んだことを思い出して、ああそうだなあ、って思ったよ。当時はよくわかってなかったかもしれないけど、今になってよくわかる。ナルシシストが他人とコミュニケーションできないのクッソ当たり前やな、と。

 結局の結局、何が言いたいかっていうと、この手の他人をタンツボにしてみたり無自覚に浪費してみたりするナルシシストはクソッタレに嫌だ~~~という話だった。結構存在するのが嫌だ。旦那がそういう人間でなくて本当に助かった。人生が完璧に詰んでしまう。あとコミュニケーションできない人が彼氏作って何するんでしょうね。恋愛って究極のコミュニケーションなんですけど。まあそれは別にどうでもいいや、好きに幸せにでも不幸にでもなればいいし。ちなみにSNSで友人にさわりだけ愚痴ったら「そもそもなんで彼氏できないって友達に相談しようと思うの!?解決しないよ絶対!完全にアラサーになる前にマッチングアプリとか使え!若いうちに!」って言ってました。私もそう思う。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?