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私の母はね。

八王子の八百屋の末っ子として産まれて、祖母は高齢出産だったこともあり、両親や兄、姉ご近所やお客さんから、それはそれは愛されて育った。
17才のときに友人の紹介で父と出会い、父が卒業後自衛隊に入ったので、一年間の遠距離恋愛を経て、22才で結婚。
次の年に私を産んで、3年後に弟、そのまた3年後に妹を産んだ。三人の子供を産み育てるだけでも大変なのに、特に弟は今で言うADHD (当時はそんなアイデア自体なかったよね) だったので、そこら中を駆け回りよじ登り壊し、母が子育てに悩み手を焼いた思い出はとても語り尽くせないほど。
今では立派になったよね、と言いたいところだがそうでもないのが人生の面白いところ。
ただ弟よ、今回のお葬式はあなたのお陰で大変助かりました。ありがとう。

父は器用な人で、自衛隊時代に取ったさまざまな免許を生かして、コンクリート製品を扱う会社を経営していたので、母は事務として父をサポートしていた。
バブルが弾けて父が会社を畳まなくてはならなかった時は、介護のパートをしたり、今までのような贅沢が出来なくても、いつも太陽のような笑顔で家族の幸せを一番に考える女性だった。


私はここに何を残そうとしているのだろう。
母は最期も家族以外の人とは全く会おうとせず、ひっそりと旅立ちたかったはずなのに。
それでも誰かに知って欲しい。彼女がどんなに素晴らしい人だったかを。
言葉にするのは難しいとわかっている。
でも言葉が溢れて止まらないから、今日から徒然と母のことを書いていきたいなと思う。

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