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平安京でワンネスを体験する その2

トイレから出入りしていたG・・・
全てを愛で包み込んで浄化する「西王母」の謡で、出入りしていた穴を封印してから、
私の前に感情を揺さぶらせる出来事がいくつも現れた。
その感情に向き合う。

ショック、がっかり、怒り、納得できない気持ち・・・
その奥にある大事なニーズは、正直さ、誠実さ、信頼、尊重、感謝。

そんな時、友人の水鏡師さんの個展があり、バスに乗って会場へ向かう。
何故か、少し前の古い感情が湧き出てくる。

行く前に、どうしても鰻が食べたくなった。
泥の中を掻き回し浄化する眷属、鰻。
バスを降りて、デパートの最上階にある評判の鰻屋で並を注文して食べた。

私のお腹の底の底にまだ少し残っている濁りをウナギは掻き回したのだろうか?
水鏡師さんの個展に向かう。
その鏡は真実を写す鏡だ。
私は自らの姿を躊躇なく映し、その奥の真実の自分をまっすぐに見つめた。

個展の帰り、私の中にある何かが蠢いた。
私の中にもある赤い龍。
その存在を認め共感し受け入れる。
全てを許す愛の力で。

その次にあらわれた私の感情を揺さぶる出来事は父の入院先の病院の対応だった。
満たされなかったニーズは、信頼、尊重。
ショックや怒りの感情が口から溢れ出る。
その気持ちを1人で吐き出したあと、私は病院の看護師長さんを呼んで、私の気持ちとニーズを伝えた。

病院から帰宅して思った。
この一連の出来事、体験はなんだろう?
私の中に出てきた感情は、何者かと同じなのではないか?

Gのことを思い出す。
西寺跡で西王母を舞ってから、平安京のど真ん中の穴からトイレを介して現れた古い衣を纏った僧侶。

「尊重が満たされなかったのですね・・・」

私はひとり、そう呟いた。

そして平安京の地面の下を思い浮かべる。
秀吉が寺を今の場所に移し、今の京都の姿がある。泉妙院もその1つだ。
アスファルトやコンクリートの地面の下に、
空気や水が浸透せず、腐った土壌がある。

浮かばれなかった僧侶たちもその地面の下で臭いを発している・・・
でも、それも何かが間違っていたからだろう。
宗教ではなく、本当の信仰というものを表さなければならないはずなのに。

そんな気づきの中、私が鏡を見た日から夫である住職が訴えていた。
「首を寝違えて痛い。」
西寺跡での西王母の奉納の翌日、お腹を下した住職。
ここ数年、固めていた意識が少しずつ溶け出していたが、
いよいよ最終段階が来たようだ。

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病院で気持ちを伝えたその夜、
お風呂を沸かそうとしたら、お風呂場にGを発見した!

「Gがいる!」
私は住職に言った。
あのトイレから出入りしていたヤツだ。間違いない。

「今日は俺無理!」

そうだ、首痛いんだった。
覚悟を決めて、私は履いていたスリッパでGを一撃した。


「G 、一発でやった!」
そばで首の痛みに向き合っていた住職に言った。
「そんなすぐにヤレたんやったら、弱ってたんやな。」
と住職が言った。

私はGをティッシュでつまんでくずかごに捨てた。

その夜、眠りながら決めた。
「火葬して水に流さなければ」

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翌朝、くずかごに捨てたGを再度ティッシュで拾い上げ、
庭に出て空き缶の中でGを包んだティッシュに火をつけた。
不思議なぐらい、灰が飛び散ることもなく、静かに燃え続けている。
「南無妙法蓮華経・・・」
火で焼かねばならぬほどのこの世への執着だったのか・・・
その満たされなかった尊重に共感しながら、
私は手を合わせ題目を唱えながら、最後まで見届けた。

Gの火葬した灰を小さなプラのボトルに水と共に入れて、
私は足早に病院に行き、父の転院の付き添いで転院先が用意した車に乗った。

「お父さん、久しぶりのドライブやね。」

透析の管や酸素の管を纏った父の、ようやく動かすことのできる右手を握りながらそう呟くと、程なく大粒の雨が降り出した。

暑い暑い夏だった。尋常の暑さではなかった。
きっと地面の下で腐ったものたちの発酵熱がピークに達していたのだろう。

浄化の雨だ・・・

つい先日、気になって取り寄せた陰陽師の漫画。
雨乞いの話がふと浮かび上がる。

「西寺が雨乞いで負けてから、平安京は水づきになって衰退したんやっけ・・・」

父の転院先は伏見桃山。
伏見桃山城のすぐそばだ。

「ここも秀吉か・・・」

桃山城を横目に、京阪電車で出町柳まで帰った。
昼前の大雨で、鴨川の水はいつもより水量が増していた。

賀茂大橋のど真ん中で、鴨川の流れを覗き込みながら、
Gの灰が入った水を川へ流した。




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