私が思うほど他人は

知っている。よく言われることだ。自意識過剰なだけで、自分が思うほど他人は自分の言動を気にしちゃいない。気にしたって一瞬である。

しかし

その一瞬がどうにも長く感じられて怖いらしいのだ。

既読がついた。返信が来ない。今日、というか最近話しかけてこない気がする。私は何か悪いことをしただろうか。そのラインのせいだろうか。

グループラインに送ったときも。既読がついた。誰からもリアクションはない。なんなら私の時だけ未読が多くなる気がする。きっとこの冗談がつまらないかそれ以上にくだらない、見てられないからつかないんだ。

さっきの発言の後、微妙な顔をされた気がする。わたしのワードチョイスが不味かったに違いない。

そしてこうなる。

今日はうまくいかない日だ、私はだめだ。みんな楽しそうだ。みんなはうまく生きている。私はうまく生きていない。こんなしょうもないことでクヨクヨと。誰もそこまで見ちゃいないのに。

しまいには。そこまで見ちゃいないのに気にすんな、そう自分を落ち着かせるために脳内に繰り返した言葉は、いつか、そっか、誰も私のこと見ていないのか、私は1人だ、誰にも必要とされていない。しんどい、辛い。そう変わっていく。

なぜそこまで悲観的になれるのか自分でも意味がわからない。ただ、こう考えていると不思議な、クスリ的な快楽さがあるような気がする。自分を追い込んで何が楽しいかわからない。でもこれがいい気がする。

情けない話だがこれがいつもの私だ。

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