諦める以外に、ありませんでした。

先日の出来事と考えたこと。

夫には内面の言語化に馴染みがなく、また適切な語彙と文法の理解運用も苦手です。
そのため、自分が感じていること考えていることを具体的に捉えにくく、それゆえ他者に伝わるように語るのが難しいのだろうと思います。
「どうしてそう感じるの?」
という問いへの答えはいつだってほとんど
「わからない」
「それが当たり前だから」。

またそれは他者の内面を理解し引き受けられる場所が夫の中に十分に準備されていないということでもあり、他者の語りを言葉の通りに理解することが難しいということでもあります。
「切ない」や「痛ましい」と伝えると
「嫌な気持ちってことね」「不快なんだね」。

あるいは必要な5W1Hを省略してしまい、伝わらず聞き返されると困惑し苛立ってしまいます。
突然「ほんとありえないよ」と言われ
「なにが?」ときくと、
「仕事の○○さんの口調に決まってるじゃん、わからないの?」。

自分と相手が今なにを共有しているか、という前提の検討がなされないままの発話であることはそうなのですが、
実際に起きていることはおそらく検討の省略ではなく、その手前、共有していない部分があるという認識そのものの不在です。

自分と他者には認識や思考の差異がある、という当然のことを夫はおそらく十分に理解していません。
夫にとって如実化された差異は自己への否定そして拒絶として届き、大きな痛みを感じさせます。起こるかどうかわからないそれを恐れるあまり、親しかった友人を何も起きていないうちに切り捨てて自分を守ることを繰り返して、忘れてしまったのだろうと思います。

そして、ケンカをして議論をして差異を理解し合い痛みを乗り越えた経験が、そのような相手と過ごしたことが、私と出会うまではほとんどなかったのです。
恐れと痛みが、他者を切り捨てさせてきたわけです。

私はこれらのことを8年間ずっと考えてきました。
考えて考えてそうとは明かさずにさまざまなアプローチを続けてきました。
夫と私は別の存在であり理解し合うためには言葉が必要であるという合意なしには、私は永遠に彼を理解できないからです。


しかし残念ながら…極めて残念ながら、
【どんなアプローチも効かない】
ということが先日わかりました。

その時夫は
「自分の意図が伝わっているかどうかを相手の応答によって判断できるはずがない」
「僕がイエスと言わないのが気に入らないのならそう言えばいい」
と言いました。

そして、
意思疎通の…意図と解釈に対して、文脈と使用された表現から一致不一致の判断や確認が可能だと思っておらず、
齟齬を指摘するのは相手の解釈に対して優越を主張するものであり、修正や歩み寄りを求めるのは相手の解釈への不当な介入であると、
そのようなことを言いました。

私はそれを茫然としながらきいていました。

夫にあるのはただ自分の解釈だけであって、
【「相手の意図」は、齟齬を埋め理解しようと試みる対象ではそもそもない】
のであり、
それを試みる相手(私です)から
【投げかけられるさまざまについて「これは不当な介入だ」と捉えられていた】
のです。

これは、私がどのように投げかけ合意を目指そうとしても、決してそれが実らないことを意味します。
届かないのではなく、あらかじめ全て拒絶されている。いえ、拒絶ですらなく…ありえない起こりえないこととして否認されている。

夫にとって、言葉とはそういうもの。
他者とはそういうもの。

私には信じがたいことでしたが、彼にとっては「事実としてそういうもの」なのです。

「そういうもの」としての他者であるところの私が、「そういうもの」としての言葉で、彼にこれ以上なにを渡そうとできるでしょう。

どれだけ投げかけてもそれが言葉である限り、彼には届かない。
言葉で届く場所には、彼はいない。

この断絶を乗り越える方法は、ない。


もしかしたら、あったかもしれません。
去年までは。
ある時の出来事を契機にして8年の積み重ねは全てひっくり返り、夫は乗り越えようとする価値を私に認識しなくなった、ということなのかもしれません。人生でただ1人自分と共にあることを諦めなかった私に彼が見たナニカ、あったかもしれない乗り越えるための動機は、その出来事のあと…今はもう忘れ去られているのでしょう。

彼は否定と拒絶を感じて激しく痛み、崩され壊される恐れから自らを閉じようとして、しかし私と生きようとする希望がそれを最後までは閉じさせない。扉のノブをつかむ彼は相反した力に繰り返し引き裂かれ続けていましたが、去年の出来事は決定的に彼を打ちのめし、それまでに私達が得たものの多くを捨てさせたのだろうと思います。

彼は限界だということです。


この断絶に、できることはもうない。

これを受け入れるのは私にとって大変に困難なことであって、かつてなく精神的に不安定になっています。

諦めることはない、信じる、と言い続けてやってきました。
今でも諦めたくない、信じていたいのです。

でも、そもそも夫は、
私が諦めずに信じたいと願うもののある場所に、いなかった。
去年のその日より前はいたかもしれないけれど(いなかったかもしれないけど)彼がそこに戻ることは二度とない。

諦めずにいても信じていても、彼はそこにはいないのだから、何の意味もない。

引き裂くことになるだけなのだから、続けてはならない。

分かり合える日は、来ない。


先週末から、受け入れるための行程を始めました。

都心のクリニックに向かう途中、田園都市線の車窓から見える美しい街を見ながら、夫が私と過ごすことによって月を美しいと感じるように変わったことを思い出していました。

私が月の美しさを語ったのは、ただそう感じたということを表現したかっただけただきいてほしかっただけ、
夫へのアプローチという目的はなく、ただただその瞬間の感情や感覚を夫に渡しただけでした。
夫は何の気なしに…きいているのかいないのかわからないくらいの反応しかしませんでしたが、繰り返されるうちそれが夫に月の存在を気づかせ、そして見上げる機会を増やし、美しいと感じる時を招いた。

私達がともにできるのは、目指すナニカや目的のある言葉でなく、感情や感覚の一部。

ただそこに起きた感情や感覚の偶然に重なり合うドコカだけが、私達が分けあえるものなのだと、理解しました。


恩師は数年前から、おそらくそのようなことを示唆していました。

「言葉ではないルートを模索してもよいのではないですか?」
言われるたびに私の返事は
「そういうルートもあるのかもしれないけれど私には捉えられない、想像できないのです」。
言葉ではなく通じ合えるナニカとはどういうことなのか。そういうものが本当にあるのか。わからない、と。

しかし、夫のあらかじめの拒絶…否認を知った時に、心底よくわかったのです。
「ああ、本当に、言葉ではない。言葉は私たちを繋がない。だとしたら…」
そして、田園都市線の車窓から見えた景色がある時の月を思い出させ、
あれはそういうナニカだった、ということを気づかせました。



どこまで行けるでしょう。
選んだことのない道です。

理解や共感、受容を求めることは置いて、
ただ偶然に重なる感情と感覚を頼りに、あの人とどこまで行けるのか。

長い長い話をきいたドクターは
「あなたの夫はとても幸運だ。わかっていてその道を行こうとしてくれる人に出会うことなどめったにない。…『行かなくてもいい』ということを忘れないで下さい。あなたは他の道も選べるということを忘れないで」
と、言っていました。

行かなくてもいいのでしょう。
どこまでもつかわからない。
もたなかった時にどうなってしまうのか想像もつかない。

だけど、私は行きたいのです。
あの人と繋がれる方法がまだあるなら。
それが、私が長いこと大事にしてきた「言葉」ではなくても。


私は、夫に対して理解や共感、受容の共有を目指して言葉で通じ合えるように働きかけることを、やめます。

私にとってはとてもつらい、絶望的に悲しい選択ですが、
どうしても、どうしてもあの人と生きることには代えられない。


*8年間の取り組みについて、たくさんの方から労わりと励まし、応援をいただいてきました。どんなに救われたでしょう…感謝しています。

もはやほかにどうすることもできないことが確定的となってしまい、諦めを口にしなくてはならないのが極めて残念で胸の潰れる思いですが、

いただいたお気持ちへのせめてもの誠実として、ここに述べたものです。

心から、感謝を申し上げます。


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