小川洋子に救われている。
小川洋子の書く文章が好きだ。
体調が悪くて沈んでいる時、鬱々とした気持ちの時、彼女の文章はそっとこの気持ちに寄り添ってくれる。励まし、ではなく、肯定してくれている。
昨日から体調が悪いので無性に小川洋子の世界に浸っていたい。
(性格が大雑把なので不安定な時にしかこんな気持ちにはならないのだけど。)
彼女の文章は毒が潜んでいると思う。それは美しく、儚い言葉たちのベールに包まれている。
小川洋子はその毒をまるで神聖なもののように扱う。
私はそれに浸っている。
小川洋子と、登場人物と、私は、毒に気付きながら、気付かないふりを続けている。毒はどんどん広がるが、その世界は痛々しく、心地いい。
小川洋子の書く世界は共感であり、そっと寄り添ってくれる居場所である。
結局、私は酷く寂しいだけなのだ。
小川洋子はその寂しい感情をあまりにも美しい言葉で言い換えてくれるので、この寂しさは正しいのだと、そう思ってしまう。
だからこの寂しい気持ちは自分の中に留めて、ゆっくりと溶けていくのを待つことしかできない。
そんなことを熱で朦朧とした意識で書いている。
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