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流星 20th Birthday Anniversary 記念インタビュー “これまでとこれから”

 あくまでもこれはイチオタクの僕が、推しである流星へ勝手にインタビューをし、掲載許可をとり、20歳という記念すべき年齢になる誕生日当日に世界へ拡散する“流星のこれまでとこれから”をまとめたスペシャルなインタビュー記事である。2018年3月31日に惜しまれながらも解散し、今もなおたくさんの人に愛され、語り継がれている伝説のグループα-X'sの話が中心となっているがそこは大目に見てほしい…

――早速ですがこれまでの活動について話してもらえますか。
 小学生の時に地元の小さなダンススクールでダンスを始めました。本格的にダンスを習ってみたくなったのでavexのダンスマスターに通い始めて、プロ育成に声をかけてもらいました。そのあと聖貴くん(手島聖貴=ØARCH)や遥城(成瀬遥城=ØARCH)のいるaLovaL Boys(アローバルボーイズ) として活動しました。2年くらいで解散してしまったんですけど、すぐTFB ProjectというユニットでSHURUくん、RYUKI(小池竜暉=GENIC)、TENくんと活動が始まりました。TFB ProjectはBE×DUNKの前身ユニットだったのですが、TFB Projectの活動をしていく中でBE×DUNKを結成することになって、そのオーディションで落ちました。ちょうど高校受験とも重なっていて色々ありました。
――2つのグループを経験して感じていたことはありますか。
 aLovaL Boysは初めてのグループで自分がまだ中学生の頃だったので、解散したことやこれからのことに対して深く考えていなかったと思います。次のグループができたらまた頑張ろうくらいの気持ちだったと思います。BE×DUNKのオーディションで落ちた時は悔しかったです。TFB Projectから落ちてしまったのが自分だけということもあったし、正直、負けていないのにと思うことはありました。だからそこに負けたくないという思いを持ってその後の活動ができました。
――その後、『BOYS & GIRLS Dance Vocal Audition 2016』のファイナリストを経てα-X'sに加入することになったわけですね。
 はい。合格した時にあまり実感は沸いていませんでしたが、嬉しかったです。でもα-X'sは既にグループとして出来ていたので2期生という形で入るのは不安な思いもありましたが、遥城と聖貴くんとまた一緒に活動する機会ができたのは嬉しかったですね。
――α-X'sに正式加入した後、17人全員が揃っての初めてのライブは代々木第一体育館で開催されたGirls Award 2017 SPRING/SUMMERでのオープニングアクトのステージでしたね。当時のことを覚えていますか?
 ガルアワより前に、2期生も含めて選抜されたメンバーでのライブが何回かありましたが、僕は足に怪我をしてしまっていたのでα-X'sとしてステージに立つのはこの日が初めてでした。髪色を染めたての紫色にして気合いが入っていたことを覚えています(笑)
――他に加入当初で印象に残っていることはありますか?
 そうですね、他のメンバーはガルアワ前後にたくさんステージに立てていたけど、僕は怪我で出られなかったので焦りはありました。チームワークも出来上がっていっているんじゃないかとか、誰?って思われるんじゃないかとか。全然ライブに出られていなかったので負い目のようなものも感じていましたし、上手く馴染めるか不安でした。この時期は怪我をしたことで挫折していましたね。ライブ後の特典会(ファンとの交流)にも全然参加できなかったですけど、初めて写真を撮ってくれた人のことは今でもすごく覚えています。

――そしてBチームでの活動が始まって行くわけですが、メンバーそれぞれの初めの印象はどうでしたか。
 匠海くん(紀乃村匠見)は最初からムードメーカーでした。明るいだけじゃなくて、真面目で色んなことを考えている人でしたね。
 牙琥翔くん(がくと=実験室レム)はチャラそうな人でした(笑)僕が人見知りなのでグイグイ話しかけてくれるのも嬉しかったです。
 茉生くん(西本茉生=GENIC)はしっかりしていて真面目でした。意見もはっきり言うタイプでしたし、当初から周りのことも一番よく見てくれていました。
 聖貴くんは昔から知ってるのもありますが、すごく面白いお兄ちゃんです。だけど真剣にチームのことを考えてくれて、すごく頼れました。
――流星くん自身は周りからどう思われていたと思いますか。
 そうですね、絡みづらいとかですかね(笑)あとは年下なのに生意気だったかもしれないので、はじめは僕のことを好きじゃなかったかもしれません(笑)
――Bチーム結成直後の数ヶ月は毎月20本以上、多い時は1ヶ月に27本ものライブをしていた時期もありましたが怒涛の日々でしたね。
 毎日スタジオに入って練習して、振り合わせをして、ライブをしての繰り返しだったけど、活動して来たなかで一番濃い時間でした。当時は高校に通っていましたが留年してもいいやと思えるくらい第一に考えていましたし、毎日が本当に楽しくて充実していました。平日の午前中からライブなんてこともありましたね(笑)あの頃のことを思い返すとたくさんライブがしたくなります。
――活動の途中から1期生の響さん(渡邉響)もBチームに加入しましたね。
 5人体制から6人体制になったので構成を新しく考えなくてはいけなかったですし、これまでやってきたことで変えることもあって大変でしたが、メンバーみんなが前向きに考えていましたし、いいものを作ろうという気持ちが強かったです。
――初めてのワンマンライブの練習が増え、ライブが減っていくなかで駿河屋の店員イベントやa-nationのオープニングアクトなどこれまでの活動にはないイベントもありましたね。
 毎日のようにあったライブが減っていくのは寂しかったです。駿河屋さんの店員イベント、懐かしいです。僕は店長をさせてもらいましたが確か立候補しました(笑)a-nationもとても貴重な経験をさせてもらいました。

――1stワンマンライブでの思い出はありますか。
 ワンマンでBチームはFlowBackさんの『Come A Long Way』をやったんですけど、曲を決めるときに茉生くんが提案してくれました。俺が振りを全部覚えてくるからやろう!ってすごく熱かったです(笑)楽曲が自分たちのこれまでの活動に重なるところもあったので、今まで以上に真剣だったがゆえにメンバー間でいい意味でぶつかることもありました。今でもよく聴いています。
――ワンマンライブで初めてBチームや流星くんのことを見た人もいたと思いますがどうでしたか。
 そうですね、実際、Twitterでフォローしてくださる方がすごく増えましたし、ワンマンライブ以降のBチームのライブや特典会に来てくれる人が増えて嬉しかったです。
――ワンマンライブが終わってすぐPHOTOBOOKの撮影がありましたがそこでのエピソードはありますか。
 イチゴやミニシュークリームとかのページがあるんですけど、メンバーに見られながらの撮影だったので恥ずかしかったですね。周りからのガヤがすごかったし、特に恥ずかしかった記憶があります。牙琥翔くんは自分からホイップを口元に付けたりしていてさすがでした(笑)遥城も慣れていましたね。
――PHOTOBOOKの発売時には渋谷マルイで駿河屋とのコラボショップがありましたね。
 そうですね。Bチームとしての出演は少なかったですが、聖貴くん、匠海くん、茉生くんと4人でDOBERMAN INFINITYさんの『あの日のキミと今の僕に』を披露した時のことは覚えています。マイクをちゃんと持って歌ったのが初めてだったので思い出深いです。
――グループ活動で他に印象に残っていることはありますか。
 初めての大阪でのライブですね。初めての遠征だったので、修学旅行じゃないけどワクワクがすごかったです。大阪の最初のライブは響くんが急遽参加できなくなってBチームを結成した当初の5人バージョンでやったんですけど、懐かしかったです。OSAKA SWISHにも出演させていただきました。
――3月28日に2ndワンマンライブ『α-X's 2nd単独公演 〜GRADUATE〜』。マイナビBLITZ赤坂にて満員御礼で行われましたね。
 2ndワンマンではチームごとの楽曲はなくて、ボーカル選抜やダンス選抜など色んなパターンでメンバー構成されていたので、とにかくたくさん練習していました。ありがたいことに出演した曲も多かったので練習量はすごく多かったです。最後だし得られるものは得ておこうと思って先生方にたくさん質問していましたね。また練習中に左の小指を剥離骨折しちゃいましたが(笑)
――記憶に残っていることをひとつ教えてください。
 本編終了後に裏でエンドロールの映像を見ていたときに『Best Summer Ever!!』のオルゴールバージョンがエモくて、これまでのBチームでの活動を思い出して感極まりました。たまたま隣にいた聖貴くんの胸で泣いたのを覚えています。
――2018年3月31日。ついにα-X's FINAL LIVE。2部制で1部は全体曲と各チームでの構成、2部は3月28日の2ndワンマンの構成でしたね。
 1部はBチームとして最後のステージでした。最後にやった曲がX4さんの『Rockin' It』だったんですけど、Bチームの最初のライブからほぼ全部のライブでやってきた曲で自分たちとファンの皆さんで作った曲だったので思い入れがすごいです。2部の最後は泣いてました(笑)最後の曲は確か『Best Summer Ever!!』だったんですけど、もうどうなってもいいと思いながら泣きながら踊ってました。泣いてて位置も踊りもよくわからなくなってましたね。メンバーも泣きながら踊ってたし、間違えまくっていました。本当にぐちゃぐちゃでした(笑)
――こうしてα-X'sは伝説になって行ったわけですね。
 (笑)
――よくありがちな質問ですが、流星くんにとって「α-X's」とは。
 ん~…。(しばらく考える)アベンジャーズみたいな感じじゃないですか。やっぱり何かに特化してる人が多いですし、みんなそれぞれがそれぞれの場所で輝けるじゃないですか。なのでアベンジャーズです!
――では流星くんにとって「Bチーム」とは。
 兄弟です。自分は末っ子でお兄ちゃんがたくさんいて、匠海くんだったら弟の僕がいて、お兄ちゃんの聖貴くんがいたりします。普段友達にもしないような話もみんなにはできたり、距離感も近かったので兄弟がしっくり来ます。今の自分がいるのはBチームがあったからこそです。

――解散以降、どんな思いで過ごしていましたか。
 今後どうしていきたいのかが定まらなくなって、自分がどういうグループに入りたいのか、何をしたいのかを見つめ直す期間になりました。学校も頑張りたい時期でした。
――2020年3月にはavex managementを退所しましたが大きな決断だったのではないですか。
 僕にとってはとてもかけがえのない場所でしたし決断をするまでにとても悩みました。ずっと応援してくださった方には申し訳ない気持ちもいっぱいでした。ですが僕は諦めたわけでもなく新たに変わるためここで留まっていてもダメなんじゃないかと思い決断しました。
――最後にファンのみんなにメッセージをいただけますか。
 α-X'sが解散してからステージに立つことが全然なくて、自分を表現できる機会が少ないですけど、それでも未だにSNSにコメントをくれたり反応してくれたり、早く恩を返したいという思いです。どういう形にしろステージに立ちたいと思っているのでそれまで待っていてもらえると嬉しいです。

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あとがき
 流星くんマジスキスギルとして天命を受け、どれくらい時間が経っただろうか…。僕はα-X'sの流星としてステージに立つ姿しかほとんど見ていないし、それも決して長い期間ではなかったが、今でもまだあの日々を思い出しては懐古してしまう。当時のオタク仲間と集まれば今でもあの頃の話に花が咲く。何年経っても永遠に同じ話で笑って、時には泣いている。いまだに、である。まるで亡霊のように取り残されている。みんなのように次に進みたい気持ちはもちろんある。だけど流星くんがまたステージに立つことは保証されているわけじゃない。だからまたステージに立つところを見たいなんて思うのは自分の勝手な思いではある。だけど活動をしていないこの数年の間にも流星くんが変わらずずっと言ってくれる言葉がある。「またステージに立つ。」その言葉があるだけで何年でも待ってやるという気持ちになるし、いつかそんな日が来ることを思うだけで大袈裟ではあるが生きていられる。期待はしてるけど期待はしていない。でも強く信じている。
 この記事は20歳になる節目に向けてこれまでのことをまとめてみない?というまさか拾ってくれるとは思わない僕の提案からはじまったが、当初はどちらかと言うと「感謝」や「恩返し」の意味でこれまでの流星くんを知る人に向けての思い出記事にするつもりだった。でも話してるなかで流星くんがしっかり前を見ていることが伝わって来ていたし、インタビューを文字に起こしてみると、これはこれから流星くんを知る人にこそ読んでほしいという思いになっていた。これからの未来に流星くんを知る人に。これまでの活動が気になった人に。流星くんのことを少しでも興味持ってくれた人に。20歳の誕生日おめでとう。



【プロフィール】
流星(Ryusei)
2000年8月17日生まれ。しし座。B型。
猫派だったけど最近犬派になった。でも猫も好き。カメレオンも好き。
髪をいろんな色に染めるのはカメレオンにあこがれて。
車の免許もとってみたい。

Twitter @Narcisse0817
Instagram @narcisse0817

photo by sho hayakawa


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