ツミキ『SAKKAC CRAFT』

考察とか読みたいのに少なすぎる!自分で書く。

トウキョウダイバアフェイクショウ

出来すぎた処女作。
真っ赤な嘘だらけの世界で生きるくらいなら、皆が青ざめるような真実を遺して死ね。
それが飛び降りる奴の偽の見せ物なんて題名なのは皮肉が効きすぎている。
サビはまさに落ちている最中のような激しいメロディーが印象的。
「IA」が逆さで「愛」を謳っているのもポイント。

どうやら全てこれから起こることの妄想のようで、街の諠譟から少し高いところにある静けさも表現されているように感じる。

トオトロジイダウトフル

悪役の悪役は悪役じゃないか
偽物の偽物が偽物じゃないか

隣り合うものが同一なのかどうか疑わしい、1秒前の自分は自分と言えるのか、A≠Aではないのか、つまりA=A(トートロジー)が疑わしい(ダウトフル)

最後まで答えは出ていないような歌詞だが、メロディーやPVではある程度問題にケリをつけているようにも思える

リコレクションエンドロウル

トウキョウダイバアフェイクショウは世界に嘘が溢れているという感じだったが、こちらは世界そのものが偽りだと解釈したようだ。

自分の存在も証明できない、この世界に何かすることもできないので自分の無力さを呪って死ぬ。僕の負け。
今までを振り返っているので終わりの回想(リコレクションエンドロウル)。ひどい。

斟酌した不戦勝の旗は意に染まない。って歌詞が好き。無血革命みたい

ラスサビは全てが無意味だと気付いた喜びか、高揚か、やけになっているのか、終わりに対する歓喜か、解釈しづらい。

ニビイロドロウレ

解釈が難しすぎる。描写は小説のように丁寧。一方サビはほとんど同じことの繰り返し。歌詞から読み取れる情報が少ない。

「猿のエス・オウ・エスはもう濁声と化している」、「道徳観を如何解くか等、説く君は誰だっけ」等、どこか他人を小馬鹿にしているような、そもそも興味がないような印象を受ける。
一方で「恫喝達に如何勝つか等、問う僕は何だっけ」、「僕の美学 一切 撃抜いて」等、自分を自嘲しているような描写もある。

主人公の願いは自身を否定されること。
鈍い痛み(ニビイロドロウレ)とは否定されることであり、「愛」を原因としている。
主人公の願いが叶うと世界は一つになって、感覚も無くなって、喜劇は幕を閉じるらしい(これ自体が願いの可能性もある)。

ラスサビでは主人公の願いが静かに消える。つまり自身が否定される=死であり、解決と同時に解消も成された。




以降考察でもなんでもなく独り言。。。


度々出てくる春とは本当の意味での「愛」
これは真の相互理解、痛み無き愛であり、相互理解などできない(愛には痛みが伴う、これが「僕の美学」)と思っている主人公にとっては「痛み」
→主人公がパラドックスの原因
自分が消えることで「愛」が成就する(世界が一つになる)ことを主人公は察している
喜劇とは「愛」を望んでいる自分が原因で「愛」を手に入れることが出来ないという皮肉


サビ前
1.白い瞳孔、肉体的盲目
「夢の中、人間様の此の瞳孔が総てを知ったって(もし世界の全てが理解できたつもりでも)」
→そもそもできてない

2.ハイライトの無い瞳孔、精神的盲目
「夢の中、人間様の此の中枢が総て判ったって(もし相手の全てを理解できたつもりでも)」
→そもそもできてない

3.正常な瞳孔、悟り
「夢の中、人間様の此の瞳孔は何にも知らないね(何も理解できてなかったんだね)」
→ダニングクルーガー

主人公の本当の願い
上記にもあるように、「痛み無き愛」(真の相互理解)
つまり肉体的にも精神的にも痛みから解放されること

主人公像
体には打撲痕や切り傷などが多く見られる。
痛みへの忌避感が強いと思われる。
おそらく経験してきた「痛み」が原因で他者へ好意を向けることができず、「愛」を求めつつも自ら「愛」そうとはしない。
自身が原因で願いが叶わないため自虐的。
代替案として自身の価値観(「愛」は存在しない)の否定、すなはち殺害を要求。→こちらは叶う。

これで小説書け。


アノニマスファンフアレ

ツミキ氏がボカロという匿名性(アノニマス)を捨てて新たな産声をあげる(ファンファーレ)というだけ。つまり顔を出して音楽活動をするつもりがあるよという歌。

ボカロだけのツミキは死に、音楽家ツミキとして生まれ変わる。葛藤を抱えながらも答えを出したという話。

上記の作品と違い曲中のと違い、オリキャラはおらず
、かなり現実のツミキ氏が反映されている印象。ストーリーとしてもあっさりめ。

「終生は其の熏み付いた白月と酷似している。」とあるので、満月(成功)までの道のりが険しくなるということだろうか......?

ヒウマノイドヒウマニズム

お気に入り。
別の方の記事で紹介してるので違う考察も入れる。

社会に馴染めないので「人間」を演じている「人間擬き」(ヒューマノイドヒューマニズム)。
自分(本物)が「演じている自分」を客観視しすぎた結果、肉体が自分(偽物)に乗っ取られそうになり、自分(本物)が本物であることを証明する(「引金を弾く迄 幻」→死ねば分かる)為、自分(偽物)に自身を殺させる(「衝き陥してくれ!」)。
分かりづらくて混乱するが、まさしく主人公はその状態。

主人公は人間失格な自分(本物)を偽物と認識しており、元々自死願望があった。
ただ臆病さ故に(これがまた生々しい)実行できず、偶然生まれた人格に自身を殺させる(実際はそんなものは無く、主人公の一人芝居)。

神様に縋る、溺れる、他者への恐怖や嫌悪、些細なストレス、それによる症状......
内側では自己同一性が破綻しているという絶望的状況。

また一貫して「偽物の価値に就て」答えを求めている。(生きてる価値ある?→答えは暗中→死ねない)

ラスサビではいよいよ体が乗っ取られ、自身の行動も制御が効かない(都合がいい)。そしてこのまま......
肉体の最期に呼応するようにメロディーは激しさを増し、再度「偽物の価値に就て」問う。
薄れる意識の中、ようやく主人公は答えを出す。
「例え此れが紛物でも 其れでも僕等は美しい」
なぜなら「総ては神様の云う通り!」だから。

最悪すぎる。
主人公が唯一出した答えも「神様」任せ。
無責任さの生々しさがすごい。

黄色い百合、鬼灯の花言葉
偽り

the answer in the dark
発音が映画「Dancer in the Dark」に似てる。
これは最後から3番目の曲だけど。

主人公の顔
正面を向いているにも関わらずわからない。
「消失の畏怖に目目を塞いでいる」
「僕に成り済まして口を拭っている」
主人公にとって顔(というより肉体)は自分のものでは無い。

他の作品と比べても現実との距離が近すぎる。
理解出来すぎてしまう歌詞故に理解不能なことまで理解できてしまう。

アングレイデイズ

メロディーも歌詞もwowakaさんへのリスペクト。
繊細な音楽を作る印象だったから衝撃は大きかった。こういうパワー系もつくれるんだ。
まあ内容はおまけみたいな曲。
「貴方を愛してる。殺したいほど」
「あなたのシで私は生きる」
「この想いを伝えるのを許してくれ」
「こんな私を止めてくれ」
くらい?
色褪せない日々(アングレイデイズ)かな?

「冷凍河童の解凍サヴマシンガンで(発砲音)」
すき。



レゾンデイトル・カレイドスコウプ

最後の曲。
映像に分かりやすく意味がある。

言ってしまえばアノニマスファンフアレの続き。
方向は定めたので、いざ一歩踏み出す決意の歌。
「俺は変わらず俺だからついて来い!」ってこと。

一方でこれまでの終着点でもある。
「真実」「疑念」「終焉」「鈍痛」「匿名」「偽物」「類似」
それぞれの世界でもっとマシな結末があったはずで、「自分」が変われ!って意味と、
「自分」もこうなる可能性があるっていう暗示もある。

その翼と色彩で君は何者にもなれる。
君という存在価値は万華鏡の如く。

その翼と色彩は君を何者にもしうる。
君という存在価値は一つしかない。


yourself

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