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Maseratiと心中した話 vol.1

マセた学生

人生で初めて購入した車は
今から約20年前のマセラティスパイダーという車でした。
デビュー当時は、まだ小学生の頃。
当時のフェラーリ会長、ルカディモンテゼーモロと、シューミーによる
プレゼンの基、01年フランクフルトモーターショーでアンベールした黄色のスパイダー。その時はまだ地上波で放送していたカーグラフィックTVで見たその美しさに感銘を受け、以降ずっと憧れ続けておりました。
中学生、高校生の頃に、よくある1台目は何にする?という質問に対し間髪入れずマセラティスパイダーと答えていたのが懐かしい思い出です。

※ただその時は今程メジャーブランドではなかったので、?で返答されていた事も覚えております。

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ブーメランテールランプの廃止に関して

さてこのスパイダーというモデルは
2000年代初頭、マセラティ社が北米へのリターンマッチとして2000年〜2005年頃まで生産されていたモデルで
皆さんご周知の3200GTで採用されていたブーメランテールランプが廃止されたモデルでもあります。
で、少し余談になりますが、このブーメランテールランプが廃止になった理由を皆さんご存知ですか?
僕も100 %の真相は知らないのですが、あるコミュニティサイトでエンリコフミア氏が面白いコメントを
某有名クラブの会長に投稿していたので、ここで共有しようと思います。

エンリコ>>
``ルカがブーメランテールランプを嫌いスパイダーでは採用しなかった``という話がありますが
実際には、レギュレーションの話が濃厚です。
当時のマセラティ社にとって、北米マーケットの再参入は必要不可欠。
その為には、ルカはスパイダーをその筆頭とする必要があると考えていました。
しかし、例のテールランプでは北米の厳しい認可が下りなかった為、通常のテールランプにしたという事です。

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↑非常にベーシックなテールライトになったスパイダー。

実際にルカ氏の、狙いは的中。
スパイダーを筆頭に北米のマーケットで瞬く間に好セールスを上げるようになりました。
そしてその勢いは留まらず、この後に出るQPVで生産台数は伸び黒字化に転換するので
先見性のある経営者としての判断は流石ルカディモンテゼーモロとしか言いようがありません。

と、ここまでは少し余談でした。

新卒2ヶ月目で、心中一歩手前

さて、所有していたスパイダーは02年式アズーロアルゼンティーナ(以下アズーロ)にクオイオのインテリアで
これは、僕が高校生だった頃、当時、雑誌ゲンロクの中古車広告のページで見つけてその個体(仕様)を見てからはずっと恋焦がれ続け探しておりました。

しかし、そのタイミングはいきなりやってくるもので
今から約5年程前就職して大阪に住んでいた頃、いつものルーティン作業カーセンサー→マセラティ→全国→新着物件とサーチ。

iphoneを下にスクロールしていくと、上から3台目ぐらいで出てきたのが当個体でした。

もう、その瞬間に頭に電撃が走り
すぐにショップに電話し、来週見に行く事を伝えました。

続く。

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