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【過去記事】20120501 祝う

別のブログに書いていたものを一箇所にまとめるプロジェクト。8年前に何かを書きたいと思い始めた様子。

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あれはまだ私が一人暮らしをしていた頃のことである。

バイトを終え、駅からすぐの商店街を抜けたところで、昔母から与えられた言葉を思い出した。
おそらくその言葉を思い出すようなきっかけがあったに違いないのだが、その出来事はとんと記憶にない。
ただ、帰り道、あのあたりで考え事をしながら、遠い記憶からこの言葉を引きずり出したなあ、ということだけ覚えている。

思い出したその言葉は、なぜ今の今まで忘れていたのだろうと思うほど改めて私の心に鋭く響いて、完璧には思いだせないものの、ぼんやりとした輪郭だけでも記憶にとどめようとその晩Twitterに発言したのだった。

「正しいことを言う時は、少し控え目にした方がいい。正しいことを言う時は、人を傷つけやすいものだと、知っておいたほうがいい」と。


中学三年生の頃、傷ついていた私に、母がその時読んでいた「論座」の中から示してくれた言葉だった。

私はその言葉を適当なメモ帳に留めておいたのだが、それすらどこかに捨ててしまい、その言葉が誰のものだったのか、正確に覚えていなかった。
帰り道に思い出したのは、断片にすぎなかった。

しかし、私のこの記憶の断片を記した何気ないつぶやきが、
どういうわけか大学の友人の心を激しく揺さぶったらしく、卒業式の日に重ねてその言葉に出会えたことを感謝された。

「私の言葉ではないんだけどなあ」というちょっとした罪悪感から、いつかは分からずとも、きちんと出所を明らかにしたいという気持ちがあり、さりとて思い出す手掛かりもないので、「まあそのうち」程度に頭の片隅に置いておくことにした。

ところがつい先日、茨木のり子のエッセイを読んでいてこの言葉に再会した。
吉野弘の「祝婚歌」の一部分の引用だったのだ。

そう言われてみれば確かに「吉野弘」、「祝婚歌」と書き写したような気がしないでもない。
それでもその言葉が記憶に根付いていなかったのは、15歳の私にとって「祝婚歌」という単語が、なんだか良く分からないリアリティのないものとして感じられたからだろうか。
あるいは、一部分だけの引用からは、とても結婚を祝う詩だと思えなかったからこそ、作者も作品名もすっぽりと抜け落ちたまま、私の記憶に残ったのだろうか。

正しいことだけでは必ずしも救われず、正しいことだと相手に諭すことの無力さに傷ついた私の心には、ただ、引用されていた言葉だけが残った。


きちんと思い出したいと気にかけていた時に、思わぬところから再会した。
このことは、私はこの言葉に出会うべくして出会ったのでないか、あるいは、私はこの言葉に出会うべきで、この言葉は私に出会うべきだったのではないかとすら思えた。


少なくとも私は、この言葉を母から与えられたことを何となく恨めしく思っていた。

自分で癒すべき傷を母が癒そうとしたことで、私はあの時の自分が獲得するはずだった何かを、母から選んで渡されているような気がしていた。
母から与えられた言葉は的確過ぎて、私もそれを欲していたから、受け取らない理由はなかったし、断る術ももたなかった。

ただ、私は私の力で、あの言葉に出会いたかった、と心のどこかでずっと思っていた。
祖母と折り合いが悪かった母は、「親は肉体は与えてくれるが精神は与えてくれない」という趣旨の言葉を胸に抱えて救いにしたらしいが、私は、母から言葉を与えられることによって精神をも与えられているような気がした。
そのことが少し、苦しく思える時期があった。
いや、もしかしたら今もその渦中にいる。


だから、時を狙ったように再会した時、私のそんな小さな考えも見透かして、出会うべくして出会えたように思えた。
自分の力で、ようやくきちんと出会えた、と思えた。


再び読み直してみれば、「祝婚歌」と題されたこの作品の言葉はより深く自分の体に染み込んでいくように感じられた。
ああ、誰かと共に生きることを祝う詩だったのか、と。


友人がこの文章を読んでいるかどうかは分からないが、改めて彼女に宛てる。
そして、先日結婚した高校時代の友人にもお祝いの気持ちを込めて。


「祝婚歌」

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
(吉野弘、『一本の茎の上に』、1994年、筑摩書房。)

今日、私は23回目の誕生日を迎えた。
少しずつ少しずつ、私にとって誕生日という日が特別な一日ではなくなってきて、いずれ自分で自分の年齢も誕生日も忘れるのではないかという感覚に捉われたが、多くの方にお祝いの言葉をいただいた。


「祝婚歌」といい、「誕生日おめでとう」の一言といい、世の中には誰かを祝う言葉が存在していて、その存在そのものに胸の熱くなるのを感じたりした。


私もいつか、自分の言葉で、誰かを祝える人間になりたいなあと思う。
23歳の誕生日には、こんなことを考えていたと無性に自分に覚えていてほしくなり、不特定多数の人々に告白するような気持ちで書いた。

私の母は23歳の時、父と結婚した。
私にとって23歳とは、おそらく、特別な年齢なのだ。

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