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〈コラム〉平等についてぼやっと考えてみた。平等ってつまりアレだよ。

今年来年は「時計座の時代」となります。
この時代のテーマは「平等」だそうなので、なんとなくぼやっと「平等」について考えてみたことを書きます。

「平等」というのが
「秤にかけて50:50である」
「すべての人が同じだけの荷物を持っている状態である」
という意味であれば
平等にすることは
なんというか、ほぼムリやろ!と思うのですが

「秤にかけたら30:70だけども、大きさで言えば70:30である」
とか
「それぞれ荷物の重さは違うけれども、それを負担に思わずに持って居られる」
という意味であれば
コレはだいぶいけるんちゃう?と思います。

「秤にかけたら30:70だけども、大きさで言えば70:30である」
というのはどういう状態なのか
と言われると
これはものすごく個人的意見なのですが

「人と人が思いやって生きている状態」

ではないかなぁと思います。

人は生まれもっての
「持っている荷物の量や重さ」が、
それぞれこんなにも違うもんかなぁ!と最近よく思っていて
男女という性別の違いもそうだし
どんな家庭に生まれたか
お父さんとお母さんはどんな人か
兄弟姉妹はいるかいないか

それだけでもだいぶんと「持っているものの重さ」は変わってくるし

さらに
身長は高いか低いか
見た目はどんな感じなのか
心配性なのか楽観的なのか
器用なのか不器用なのか

もう数え上げたらキリがないのですが
いろんなものが、生まれ持って全然違っていて
後々の人生で変えることができる部分もありますが
生まれた時に「持ってる荷物の量」って
ある程度決まっちゃってるなぁと思います。

特に占いを始めてからそう思います。
意外と自分だけのせいではなくて
いろんなものを、生まれた瞬間に
人は背負わされちゃってるよなぁ。

こんなにもそれぞれいろんな人が居るんだから
「平等が良いから持ってる荷物の量を同じにしましょうね」
みたいなことは
不可能じゃないかなぁと思うのですが
今の日本の政府とか政治とかよくわかんないけどそういうメインストリームのところって
そんな「質量での平等」をやりがちだなぁと感じております。

それよりも
「持ってる荷物が重たそうだからここへ座ったら?」
「荷物が軽くなってから進んだらよいよ」
と、誰もが気楽に言ってあげられること
言っていい社会を作っていくこと
それが「平等」で
つまり「平等って思いやりだなぁ」と
そんな風に考えます。

うまく伝えられてる自信がなくなってきて
書きながら滝のような汗が流れている次第なのですが
質量として平等にすることはできないけれど
相手のことを想像して思いやることで
平等になるんだなというか
なんでもかんでも「イーブン」を求めるのではなく
不平等でいいから、そもそも人なんて不平等なもんなんだから
不平等を気にせず立ってられる世の中になれば
私はとても助かるなぁと思うのです。

自分の持ち物の重さを気にしないで立っていられる場所というのは
人には絶対に必要なので
私自身もそれができなくて
うまく誰かのことを支えられないで居るばかりなのですが
「いっせーのーで!」
でみんながそんな未来にスタートしていけたら良いなぁと
そんな風に思う今日この頃です。

良いこと言ったぞ!
と思う前に書きながら
「だからそれがSDGsなんだよ!!」
とツッコミを入れてました。
誰かがだいぶ前に良いこと言ってたわ!!!!笑

今日も良い日でした。
長い文章を読んでくださりありがとう。あなたは良い人です。
おしまい!

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