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モヤモヤは早いことnoteに書くなりした方が良い

先日、必要に駆られてあしを描いた。

と、まあそんなことはどうでも良くて今日は関係性について。

ぼくは少なからず関係性の悩みを抱えて生きてきている。

それは
「どうせぼくに関わるのは仕事やろう」
と思った18歳のときの自分から派生した悩みでもある。

きっかけとしては
退院後、病棟でお世話してくれてた看護師さんに悩み事を相談しに行ったら
「もう退院したでしょう。早く帰りなさい」
とあっさりとあしらわれたことから始まる。

なんというか、当時の自分にはただただ衝撃だった。

同時に
「あ〜、自分に関わるのは仕事やったからなんやな」
と悟ったわけである。

で、なぜ今またこの問題が再燃しているかというと月曜日に相談支援の訪問があった。
その時に担当の人が
「わたし、ADHDで〜」的な唐突なカミングアウトをはじめたのね。

ぼくは
「そうなんや。ぼくはADHDとASDの混合型と自覚している」
と会話の流れで言ったところ

「でも、そうは見えないよね」

と言われた。

うーん、、、
どこから突っ込もうか。

めんどくさい特性と一番長く寄り添い生きてきた者として、自分の特性はできないことの言い訳には使わないと決めている。
打ち明ける時でも朝までものづくりとかしちゃった時に
「まあ、そういう特性持ちでして」とか軽い感じで打ち明ける感じ。

だってさ、発達のことにしたって虐待の後遺症にしたって相手には関係のないことだとぼくは思っているから。

それが原因でできないことがあるのも事実ではあるけれど、それを言い訳にしたらなんだか自分に負けた気がしてイヤなのだ。

で、その支援者の人が十中八九、特性があるのは仕方のないことだと思う。

だけど少なからず支援者ー利用者、治療者ー患者の関係に悩んできたぼくとしては、仕事の域を超えてこないで欲しいと思ってしまったんだよね。

そういうことを打ち明けられてしまうと、関係性の維持が難しくなってしまうというか、まあいわゆる境界線の問題って言われたらそれで終わりなんだろうけど毅然と支援者してほしい。

だってどう考えてもぼくと関わるのは仕事じゃん?
別に仕事を超えて関わって欲しいと言ってる訳じゃなく、支援を受けたいと言っているのだから、支援者はプロフェッショナルでいてほしい。

なにか、まちがってますか?

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