見出し画像

ヘビーメタルフォーエバー

2024年1月26日。

イギリスのバンド、The Smileの楽曲「Friend Of A Friend」のMVが公開された。学校の生徒たちが教室に集められ、バンドの演奏をただ眺めるだけの映像。子どもたちは身体を揺らしたり、お喋りしたり、欠伸したり、みんな思い思いの時を過ごしている。真剣に観る者は少ない。当然である。見ず知らずのお世辞にも人相が良いとは言い難い、父親より遥かに年上であろう男たちの演奏なのだ。だが、最後のコーラスが熱を帯びながら音階を上げるその時、それまで退屈そうにしていた子どもたちまでもが手を叩いてバンドの演奏を鼓舞する。その瞬間、僕は不意に涙が溢れた。


1968年10月7日生まれ。

トム・ヨーク。55歳。前述のThe Smile、Atoms For Peace、ソロなど多くのサイドプロジェクトを抱えながら、フロントマンとして所属するRadioheadでは1992年のデビュー以来30年以上活動を続けている。

彼はトレンドやパブリックイメージに楯突く表現者だった。時にグランジに噛みつき、時にブリットポップに唾を吐き、時に自分たちの作品に"NO"を突きつけながら、常に新しい音と言葉で自らに貼られたレッテルをリバイズし続けた。今もなお情熱を燃やし続ける作家の一人である。

僕が彼を初めて観たのは2008年10月、Radioheadとして大阪でライブをした時だった。僕はあまりに感動し、気がつくとSNSを通じて数日後に開催される東京公演のチケットを確保していた。「Idioteque」で踊り狂ったあの日のことを僕は一生忘れないだろう。



2024年1月26日。(再び)

MV公開と同日、件の事件が起こる。僕は人に会うため、日比谷線に揺られ中目黒に向かっていた。独身時代に5年ほど住んだ街だ。思い出に耽っていた最中、僕は車中でその報せを目にすることになる。

クロップ退任。

スマートフォンの画面越しに、少しやつれた顔の彼が僕に語りかけている。契約がまだ数年残っていたはずの彼が今季で退任する。信じられない。だが、何度見返してもメッセージは変わらなかった。



1967年6月16日生まれ。

ユルゲン・クロップ。56歳。彼はトム・ヨークとは正反対のパブリックイメージをそのまま体現する表現者だった。情熱を象ったような人。自身のフットボールスタイルを「ヘビーメタル」に例えたことがそれを物語る。そんな彼が退任する理由として発した言葉。

"I'm running out of energy."

「情熱が失われつつある」彼はどんよりとした表情でそう説明した。僕は知らず知らずのうちに彼の情熱を消費してしまっていたのかもしれない。55歳の情熱に涙した同日、僕は56歳の情熱にどうしようもない歯痒さを感じていた。涙はついに出なかった。



僕がリバプールファンになったのは15/16シーズンのヨーロッパリーグ準々決勝、ビジャレアル戦をアンフィールドで観戦した時である。スタジアム、観客、そしてチームが一体になったかのようなクラブにすぐさま恋に落ちた。それ以来、僕は毎年のように現地を訪れることになる。幸運なことにチームは観戦した試合の殆どに勝利した。僕にとってはいつだって強い、誇らしいリバプールだった。

ともすれば「非戦術的」と揶揄されることの多い彼のフットボールスタイルは僕を魅了した。全力でボールを追いかけ、最短最速でゴールに向かう、その躍動感とスピード感に胸が躍った。戦術の余白は情熱で補完する。彼は選手たちを信じ、選手たちもまた彼を信じた。彼らの情熱がチームを突き動かす何より大きな原動力だった。



他の強豪クラブと比較すれば、リバプールが獲得したタイトルはそう多くはなかった。だが、誤解を恐れず言えば僕はそれで良かった。立地や経済的な背景を考えれば十分過ぎるくらいだった。彼の理想とするスタイルをそれに賛同する者と共に表現する。結果がついてくれば御の字。フットボールがゲームである以上、唯一の目的は勝利である。僕は負け犬だろう。だが、人生で勝ち続けられることは少ない。勝つことと自分らしく生きることは同じくらい尊い。僕が彼から勝手に学んだことのひとつだ。



2024年5月19日。

僕はまたひとつ歳を重ねる。そして、彼はリバプールでのキャリアを終える。何かが終わって何かが始まる。僕らはその繰り返しに情熱を傾け、時に思い悩み、涙する。人生は否応にも続いていく。いつかまた、純粋無垢なあの子どもたちと同じように、まっさらな心で彼の奏でるヘビーメタルを聴くことができる日は来るのだろうか。彼の情熱が再び宿るその時まで涙はとっておくことにする。



"I can go anywhere that I want."

最後に、冒頭で紹介した楽曲のワンフレーズを彼に贈りたい。どこへだって行ける。行きたい場所へ。そして、あなたはこれからも「ひとりではない」のだ。長い間、僕らの情熱と期待を一身に背負ってくれて本当にありがとう。また人生のどこかで交差することを願って。

ダンケ、ユルゲン・クロップ。
溢れんばかりの花束を。