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藤髙宗一郎×安藤瑞季×松木翔。エヴェッサのイケメンとセレッソの若手が語り尽くす!

<掲載日:2018年11月20日>

※こちらは過去に実施した舞洲Voiceのインタビュー記事になります。

舞洲に拠点を構える大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、そしてセレッソ大阪の選手たちによる対談企画。今回は、大阪エヴェッサの藤髙宗一郎選手とセレッソ大阪の安藤瑞季選手、舩木翔選手が語り合う。
昨季から地元・大阪のエヴェッサでプレーする藤髙選手と、セレッソの次世代を担う18歳と20歳の若手コンビが、赤裸々トークを繰り広げる。

DFながらユース時代にハットトリックを記録
-安藤選手、舩木選手と藤髙選手は初対面ですが、年齢差はどれくらいに見えますか?
安藤:藤髙選手は23歳くらいに見えます。

藤髙:実は、今年で27歳になるんですよ。

安藤:本当ですか?めちゃくちゃ若く見えます。

藤髙:よく言われます(笑)。安藤選手のことを事前に調べてきたんですけど、8歳も下なんですね。僕は大学に通っていたので、高卒でプロの世界にいることを尊敬します。他の競技の選手と対談することはあまりないですし、これだけ年下の選手と話すことも少ないので嬉しいです。

安藤:僕も他の競技の選手と対談したことはないですね。サッカー以外のスポーツはあまり詳しくないですけど、バスケは中学校の時に同級生の試合を見に行っていたので、面白いとは思っていました。

-皆さんのスポーツの経歴を教えてください。
藤髙:幼稚園や小学校の時に、体操と水泳をかじっていたくらいです。当時はサッカー部の友人が多くて、僕は身体が大きかったので「キーパーで入ってよ」と言われていました(笑)。ただ、仲の良い友人がバスケ部にいて、バスケを体験してみたら、コーチに「身長高いからバスケやりなよ」と言われ、バスケに決めました。それからはずっとバスケをプレーしています。

安藤:僕は兄がサッカーをやっていた影響で、幼稚園からサッカーを始めました。中学ではクラブチームでサッカーをして、学校では陸上部に入っていました。

舩木:僕は父が野球をやっていたので、小さい頃はキャッチボールを良くやっていて、体操もしていました。水泳もやろうとしていたんですけど、水が怖くて泳げなくて、今もそれは変わりません(笑)。
それから宮島(広島県)に家族で旅行した時に、松ぼっくりを利き足の左足でポンポンと蹴っていて。父から「左利きでサッカーを始めたらすごく上手くなるんちゃう?」と言われたのがきっかけで、サッカーを始めました。でも、基本的には運動音痴なので、サッカーしかできないですね。

安藤:プレーを見ていると全く運動音痴には見えないですけどね。

-ユースの試合では、サイドバックなのに流れの中でハットトリックも決めていましたね。
安藤:僕はFWだけどハットトリックした記憶がほとんどないのに・・・。

藤髙:DFなのに点を決められるのは才能ですね。

舩木:3点目を決めた時は、DFなのにハットトリックをして逆に恥ずかしくなりましたよ。しかも、チームでその3点しか取っていなかったので。

藤髙:それは味方の攻撃陣が複雑になりますね(笑)。

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サッカーとバスケ、高体連とユースの違い
-舩木選手がセレッソ大阪に入ったのはいつ頃ですか?
舩木:5歳でスクールに入って、小学生でも続けて通っていました。小学4年生の時にジュニアチームのセレクションに合格して、それから中学、高校とずっとセレッソ育ちです。

藤髙:バスケでは考えられない道ですね。そもそも高卒でプロになるということがあまりないので。Bリーグが始まってからはそういった例が増えましたけど、まだまだ少ないです。
僕はもともと学校の体育の先生になりたくて、バスケのプロ選手を目指したのは大学4年の時ですね。大学生の時にユニバーシアードの日本代表に選ばれて、それからプロになれるのではないかという実感が沸いてきました。

舩木:僕はセレッソのジュニアチームに入った時点で、絶対にプロになってやると思っていました。勉強は何もできなかったですから。

安藤:僕はいつかは覚えていないですけど、頑張ればサッカー選手になれるとはずっと思っていましたね。ただ、高校2年の時に年代別の日本代表に入った時に、このレベルじゃプロになれないと感じて。それから1年間努力を重ねて、やっとプロでやっていける自信がつきました。

藤髙:その頃から目標を持てるのはすごいことですし、アカデミーという環境があるのも羨ましいです。Bリーグが始まってからはアカデミーの活動が活発になってきましたけど、僕が学生の頃はなかったので、プロを身近に感じることはなかったです。
そもそもプロがあることすら知らなかったので、どこを目指したらいいか分からなかったので(笑)。

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安藤:バスケの知識は全然ないですけど、黒子のバスケを見て興味は沸いていましたよ!

藤髙:黒子のバスケも面白いですけど、僕は完全にスラムダンク世代です(笑)スラムダンクを超えるバスケ漫画はないと思っています。

舩木:スポーツ漫画はキャプテン翼しか知らないですね・・・。親友が高校のバスケ部にいたので、一緒にやったことはありましたけど、サッカーと動きが違いすぎて挫折しました。

藤髙:バスケは身体をぶつけるとファールになりますからね。

舩木:それを知らずに思いっきりぶつかったら、ファールと言われました。親友のスリーポイントを見て、ただただ感動したのを覚えています。

同じユースでもクラブによって違いがある
安藤:僕はスリーポイントが上手いんですよ。正面から決めるのは苦手なんですけど、ゴールの真横から決めるのが得意です(笑)。
高校の試合前の朝練では、朝5時くらいからバスケやバレーをガチでやっていたんですよ、実は。平日も毎日朝練があって、朝から1対1の対人戦でバチバチしていました。

藤髙:それは考えられないです。僕たちは部活でしたけど、朝練がなかったので・・・。

安藤:めちゃくちゃ厳しかったですよ。登下校も寄り道は禁止で、コンビニすら行けなかったです。だからこそ今は生活が楽に感じます。

舩木:ユースは、平日は学校が終わってから練習に行って、土日9時から1時間くらいだけ練習して、その後はフリーでしたね。ただ、練習は走り中心でかなりきつかったです。他のユースと比べてもハードだったと思います。

安藤:今のユースの練習を見ていると、部活みたいだと感じます。


舩木:高体連は球際が激しくて、ユースはテクニックがあるという印象が強いと思いますけど、セレッソは球際を一番大事にしていました。練習もバチバチしていますし、みんなの動きが悪かったらすぐ走りのメニューになりますし。
スパイクが壊れるよりも先に、ランニングシューズが壊れていました(笑)

藤髙:確かにユースはどちらかというと華やかなイメージがあります。僕は以前に日立サンロッカーズ東京(現サンロッカーズ渋谷)に所属していて、横のグラウンドで柏レイソルのユースが練習していましたけど、見ているとボールしか触っていなかったです。

舩木:レイソルは特にそうだと思います。ユース代表の合宿の時に、レイソルユースの選手と話をしていたら、セレッソは正月のオフの後に2週間走りのメニューなのに、レイソルは僕らよりオフが長くて、しかもその後にボールを触るメニューだと聞いたので。同じユースなのに全然違うと思いましたね。

藤髙:メンタルがかなり鍛えられそうですね。

厳しい環境で揉まれた高校時代
安藤:僕は高体連なのにメンタルが弱かったですね。とにかく部活の練習がいやだったので、代表に選ばれるように頑張っていました。できるだけ部活と学校の授業に行かなくて済むように。

舩木:僕もそうだった(笑)。

藤髙:僕も高校生の時は走るメニューが多かったですよ。

舩木:バスケ部はシャトルランをひたすらやっているイメージがあります。

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藤髙:それがあったからかもしれないですけど、大学生の時の練習は高校生の時に比べると比較的楽に感じましたね。サッカー部はグラウンドの中にいるよりも、グラウンドの外周を走っているイメージが強いです。

安藤:一回足を怪我した時があって、普通は腹筋とかヘディングとか、できることをやるじゃないですか。なのに、コーチからちょっとうつ伏せで寝ろと言われて。寝たら足を持たれて、グラウンドの外周をずっと手押し車で回れと。とりあえず10周ということだったんですけど、3周で腕がパンパンになって、4周でもう限界でした。
PKの練習でも、1本外したら10キロ走らされました。決めて当たり前という練習で、5本蹴るんですけど、2本外して20キロ走ることもありましたね。

藤髙:僕らでいうフリースローみたいなものですよね。練習ではあまり外さないですけど、試合になると緊張感が全然違うので、僕も外してしまうことがありました。練習でもたまに外すことはあるので、それで走らされると思ったら怖いですね(笑)

安藤:PKを外さないように、キーパーにお前こっち飛べよ!と打ち合わせしていました。冬に手袋をしているだけで10キロ走らされることもありましたから(笑)。

[後編へ続く]

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