見出し画像

哲学好きな高校生にもらった誕プレ、セネカ著「生の短さについて」を読んでみた。

こんにちは〜。まいです。

先日ミアキスにて「月1投稿の河原部社noteなに書こう〜」とぼやいていたら、哲学好きな高校生が「生の短さについてという本の沢木さんの感想を聞いてみたいです。それ書くのはどうですか?」とありがたい提案をいただきました。笑

後日彼に借りる予定だったのですが訳あって借りれなくなってしまい、彼はその本をわざわざ買ってミアキスへ持ってきてくれました。
早めの誕生日プレゼントだそうです。
哲学書を誕プレであげる高校生、なんかいいですね。笑

私は普段、哲学書を読まないし詳しくもないので書けるか不安だったのですが(今もかけてるか不安)、高校生からの素敵なプレゼント、書かないわけにはいきません…。程よいプレッシャーと、自分だけではやろうと思わなかった案をくれた高校生、ありがとう!

では本題へ〜。(哲学書も哲学書の感想文もたぶん初なのでどうかお手柔らかに…!)

どんな本か、簡単に

内容を超簡単にまとめると、たぶんこんな感じだと思います。

●「人生は短い、時間が足りない」という人が多過ぎ。人生は短いのではなく、「その時間を生きる本人が自分の時間を浪費している」に過ぎない。
●お金も土地も時間も全て「財産」で、お金や土地を侵害されたら抵抗するのに、時間は簡単に他人に分け与え悩んでいる人が多過ぎ。
●人は死すべき運命がありいつ死ぬか分からないのに、「将来のために」と多くの時間を浪費しすぎて人生が短いものになっていたり、短いどころかそこに行き着かず死んでしまう人が多過ぎ。
●自分の人生を主体的に生き自由を支配すると、人生は長く充実したものになる。そうして1日1日を大切に生きると、人はいつ死が訪れようともその死を穏やかに受け入れる事ができる。
●そのためには賢者(ソクラテスやアリストテレスなど)の過去を振り返り、先人の知恵を借りながら自分の人生について考え生きていくべし。

内容自体には「御もっとも!」の一言に尽きました。笑
でも読みながら脱線も含め考えたことは沢山あったので、そのうちの3つを書いてみました。

①私が思う充実した人生=「良かれ悪かれ心が揺さぶられる経験の多さ」

そもそもこの本は、セネカが仕事に日々忙殺されていた友人に送った手紙なのでしょうがないのですが、
「多忙な日々を送る人への批判」と捉えちゃう人は結構いるんじゃないかな、とまず最初に思いました。(内容自体は多忙そのものを否定してるわけではないと思う。)
そこからふと、「多忙」ってそんなに悪いことか?と思いました。
結果論だけど、私の経験上多忙な時の方が、学びや充実度、その後の自信に繋がる事が結果的に多かったように思います。
逆にゆとりの時間が多い時の方が、必要以上の内省の時間ばかりがやってきて、自分の経験と知識に限界が来たり、変に理屈っぽくなったり、こだわりというより自分のキャパが狭まった気がしたことがあります。
何で多忙な時の方がいい記憶が多いのだろうと考えると、たぶん「良かれ悪かれ心が揺さぶられる経験が多かった」からだなとの考えに行き着きました。

②この部分、超かっこいい…!

賢者を振り返るべしとの部分に、こんな言葉がありました。

「彼ら(賢者の残したもの)は、時間がないからといって会ってくれない人は一人もいないし、自分のもとを訪れたものをより幸福にし、より自己を愛する人間にして送り出さない人は一人もいない。訪れた者が何人であれ、手ぶらで去らせるような人は一人もいない。誰もが、常住坐臥、彼らと出会う事ができるのである。彼らは皆、君に死を強いはせず、死ぬ術を教えてくれるであろう。彼らは皆、君の生涯の歳月をむだに潰させはせず、かえってみずからの歳月を供してくれるであろう。」

本を読み終えた後、その高校生と感想を少しシェアし合ったのですが、「この部分1番好き。超かっこよくない?」と言ったら彼もめちゃくちゃ共感していました。

長年関わり続けている友人や知人の共通点を探してみると、共に過ごした時間の多さより「その人に会った後、新たな気づきがあったり清々しい気持ちになる。会った後の自分と友達をもっと好きになる。」これがどの人にも共通しているなと思ったし、今これを書いてるだけで幸せな気持ちになりました。
私も、友人、恋人、家族、ミアキスで出会い関わる中高生にとって、ムリせずそういう人であれたらいいな〜と思います。

話が超脱線しますが、「賢者」ってすごいです。私は坂本龍馬が大好きなのですが、理由はその生き様以上に、約30年しか生きていないのに、何年経った今でも多くの人に勇気と希望を与えている事実にかっこよさを感じるからです。
人に感謝されたいとか、死んだ後も忘れないでほしいとか、そういうことではなくて、「自分の正しいと思うことをただひたすら全うし、それゆえに死んだだけ」なのに、未だ社会に大きな良い影響を与えているという事実に、かっこよさを感じます。
「生」をどう定義づけるかにもよりますが、それってある意味、生き続けている感があり、坂本龍馬の肉体を伴った命は短かったですが、「かなり長い生」だな〜とも思ったりしました。

③「充実して生きると、いつ死が訪れようとも死を穏やかに受け入れる事ができる。」のその先が知りたい。

私は大学生活の後半頃から、「好きなことしまくったし、結構人生に満足したな。明日死んでも後悔しなそうだな。」とずっと思っています。
それを友人にいうと変に心配されちゃうのですが、病んでるわけでもなく、本当に心からそう思います。
たぶん、本当にやりたいと思ったことだけを、大学生活の5年間朝から晩までひたすらやっていたからだと思います。
5年って相当な時間だから、その時の充電がまだ切れないのか、ここ数年そういう日々を送っていなくても、いまだに日常への納得度は7割くらいある気がします。
でも最近、日常にもっと忙殺?を入れたい欲求があります。
なので「死を穏やかに受け入れる事ができる」のその先で、さらにどう人生を楽しむか、この方法が今とっても気になっています。
いいアイデアがある人は、ぜひ教えてほしいです…!!

「本は、読んで1つでも気づきがあれば儲けもん。」

読んだ後に高校生と軽い感想シェアをした時、彼が「本は1つでも新たな気づきがあれば儲けもんですよね〜」と言っていました。
ほんとそうだなと思います。
また、今回要約サイトではなく一篇をちゃんと読んだことで初めて知った言葉も多く、やっぱり本っていいものだな〜と思いました。
例えば「逍遥(しょうよう)」って言葉。散歩って意味らしいです。こうやって、例えば将来子どもにつけたい名前とかを偶然見つけられたら、それはかなりいい儲けもんなんじゃないかな〜ともふと思いました。


以上が「生の短さについて」を読んでみての感想というか、「読んでるうちに考えたこと」です。
高校生が「note読んだらまた軽く感想言いますね。」と言っていたので、期待に応えられているかは不安ですが笑、ちょっと楽しみです。
また、この本は他にも「心の平穏について」「幸福な生について」と二篇あるので、それらを読むのも楽しみです。

おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?