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ゆにむに

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アタイの単なる日記だよ( ‘ ᵕ ‘ )
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2023年10月の記事一覧

オフレコで知り合いに話す分にはいいけど、ネット上に文字で晒すのはね。

不特定多数が見て、データとして形に残ることの意味を考えてなさすぎ。

そういう基本的な部分をスルーして「なんで死んだかわかったよー!!」と得意満面になる人の説く「愛」とか「高次元」って何なんだろ…

まいのこ
1年前
3

もし自分の身内が亡くなったとして、見知らぬスピ系ブロガーが「死者のお気持ち」「なぜ死んだか」とか勝手にコンテンツ化してたら腹立たないのかな。

サイキック的な能力があれば何してもいいと思っちゃうのかね。「出来る」と「やっていい」は別ってこと忘れちゃうのかな。

まいのこ
1年前
2

スピ系ブロガー。

有名人が亡くなるたび「どうして死んだかチャネって判明!!」みたいな記事をあげる人いるよね。

チャネるのは勝手だけど、なんで記事にすんのっていう。アクセス稼ぎ以外の何者でもないし、他人の死で騒いで注目稼ぐのがスピ?高次元ってなんなん?ってモヤる。

まいのこ
1年前
4

本当に「美味しい」と感じている時

人は「私は●●を食べ美味しく感じています」という風に、左脳的に分析しようとはしません

ただただ「美味しい」という感覚と混然一体となって、もはや「自分」はいないかのように至福の中に溶けていきます

おいしいと私は一つになり
分離意識は消える

まいのこ
1年前
2

愛も感謝も
「する」のではなく「なる」状態が本体

食事に喩えるなら
ただ「はぁ‥おいしい」と感じている状態こそが感謝

「●●だから感謝」は実は感謝ではなく、条件つきの評価や、条件つきの免除です

それは結局のところジャッジになってしまいます

まいのこ
1年前
3

「行動としての感謝」と「状態としての感謝」は別モノ。

一般的にいわれる感謝は行動ベースのものばかり。過程と不足にフォーカスがあたってる。

状態としての感謝は結果だから、「お、おいしい…」みたいな感じで

「する」ものじゃなくて「至り浸る」もの。

まいのこ
1年前

ありがとうの反対は「あたりまえ」って言うけど だからって「あたりまえじゃない=物珍しい希少価値=有り難し」も違うと思って。 普通をスペシャル扱いするんじゃなくて、普通をふつうのまま喜べばいいし、それは出来ると思う。 だから「ありがとう」って言葉はやっぱズレてると思うんだよ。

喜びはイコールの先にあり
感謝はイコールの前にある

式ばかり追い求めたら
答えを見逃して本末転倒

素直に喜び、たまに感謝

まいのこ
1年前

喜びは前にあり、感謝は背後にある。

車の運転と同じで、基本は前を向いていて、たまに後ろも振り返るくらいがちょうどいい。

感謝で喜びが倍になったのに浮かれ、バカの一つ覚えのようにバックミラーばかりみて、ぜんぜん車が進んでないんじゃしょうもないのです。

まいのこ
1年前

感謝という単語は「感じたものを言葉にして発射すること」を表す

言葉に出さず、脳内で言語化することも含みます

まず純粋な喜びがあり
その喜びの理由/背景/条件を分析して

喜びを生んだ構造を発見し
それにも喜ぶと感謝になります

一粒で2度美味しいですが
やり過ぎると濁ります

まいのこ
1年前

在るものを嬉しいと言いたいのに「コレはなかなか有り得ない」というのは、アクセルとブレーキの同時踏み的な打ち消し効果を感じてしまう。

「ありがとう」は明治以降に普及させられた単語ですので比較的新しい言葉で、実は約150年の歴史しかない。

まいのこ
1年前

「ありがとう」という言葉は何故「有難い=希少価値に基づく価値観」なのだろうか

希少だから貴重だというのは物質主義ではないか

太陽はいつでもあるけど「太陽が暖かく明るくて嬉しいなぁ」という気持ちを表そうとすると「なかなかないよコレは」と言わなくてはならない違和感よ

まいのこ
1年前

「寝る」と
どうしてこんなに回復するのか?

身体を動かしてないからじゃない
左脳を動かしてないから

言語による思考、自他の分離
比較優劣、線形時間の概念
過去の後悔、怨み、未来への不安

それらから解き放たれているだけで、こんなにも回復して幸せになる

まいのこ
1年前
2

愛と科学の比率が アンバランスなこと 右脳と左脳の仕事量が アンバランスなこと 規模の差だけで、どっちも同じ 世の中もっと良くなってほしいと願うなら、まず個人個人が「左脳でっかち」を直して右脳を優位にしてあげなきゃ 右脳で生きる人が増えれば自動的に世界もよくなる