人に伝える気のないとっ散らかった気持ち

死にたーい。って希死念慮、はもうずーと中学生頃から自覚し抱えて生きてきたが

 希死念慮で頭がおかしくなって、自傷行為したり薬飲んだり、昨年は盛んに行っていたが
 今は、そのような行為は落ち着いている。というより、その行為をすると、自分にとって不利になる面が多く見えたため、最近は行っていない

 あと無用な心配をかけたくない人もいる
今書いているのは、特に人に伝わらなくてもいい、(自分が考えをまとめるために書いている)ものであるため、情報が不足している部分が多いことをご了承していただきたい。

希死念慮に苛まれ、頭がそれに支配されると、頭も心も、体も、希死念慮に支配されて動けなくなる。
本当に、体が動かなくなるのだ

去年の10月頃から高校の頃の奨学金の支払いが始まり、その支払いのために今はアルバイトで稼いだお金で支払いをまかなっているが

希死念慮で、体が支配され動けなくなるのはとても困るのだ。払えなくなる。
進めなくなる。今も何回も何回も死にたいと思う
希死念慮に支配されそうになる
でも、その考えに支配されて、行動に移すと、その後がより生き辛くなることを私は知ってしまったのだ

しぬなら、中途半端ではなく確実に死ななければならない

しかし、そんな勇気は今の私には無いのである
本当は生きていたいのであろうなと思う。

だって、やりたいことある。
幸せな未来だって想像してる
でも、その過程が上手くいかず現状が辛いから
救いのための死なのだと…

自殺未遂レポ、自傷画像
昔はよく見ていたが
そういったものをみていると、半端な死に方で、実行してしまいそうになる。(計画性がないため死にきれないであろう)
1歩間違えばもう自殺を実行することが出来ない体にまでなってしまう。それは、いやだ。弱いかもしれないが、甘えかもしれないが嫌なのだ。

自分はこんなに死にたいと思うのに他人には生きていて欲しいと思うのは、ほんとにとんだ馬鹿だと思う。

でも、生きていて欲しいと思うから、私も生きる。
どれだけ辛いと思っていようが毎日、今日もがんばろうねって言って、
呪いみたいだなと思う(自分も、自分の吐く言葉も)


生きていて欲しいといっておきながら先に死ぬのはあまりに無責任だから

一緒に死ぬ勇気が出るまで一緒に生きていて欲しいと思うなんて

何をとっても無責任だなぁ…

 

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