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悪魔と天使の羽根

むかしむかし、悪魔と天使が住む世界の物語。

悪魔の子リリス・キャンドルは、お父さんとお母さんに連れられて天界を旅していました。

「いいかいリリス、あなたは愛する私たちの子。決して天使と関わってはいけないよ」
「どうして?」
「天使と悪魔は一緒にいても不幸にしかならない。そういう風にできているのよ」

どうして、一緒にいたら不幸になるんだろう?ボクはよくわからないけど、お父さんとお母さんが大好きだから、絶対にその決まりを守ることにしよう!

ある日の夜。眠れなくて、リリスが一人で大樹の家から出て、外を散歩していると、遠くで同じ歳くらいの子が草原で花を摘んでいました。

「キミ、お花を千切ったらかわいそうじゃないか」
「えっ!ごめんなさい…綺麗だったから、つい…お母さんにも見せたくて」
「そうだったのか…それならボクも手伝うよ、こっちにもっと綺麗な花畑があるんだ」

そうしてリリスは、その子を花畑に連れて行きました。
その子は感激して、潤んだ瞳でリリスにお礼を言いました。

「キミ、名前は?」
「マレス・ベルっていうの」
「ふうん、ボクはリリス・キャンドル」
「リリス…ありがとう」

マレスが花のように優しく微笑みを浮かべた瞬間、リリスは初めての気持ちを知りました。恥ずかしいような、すごく嬉しいような、涙が出そうなくらい幸せな気持ちでした。
リリスは、もっとマレスのことが知りたいと思いました。

「マレスのお父さんとお母さんは、どんな方なの?」
「優しくて、あ、怒ると怖いけれど、でもいつだって私を一番に愛してくれている、そんな方たちよ」
「ボクのお父さんとお母さんも同じだ」
「わたしたち、似た者同士みたい」
「うん、ボクもそう思う」

空を見上げると、満点の星空が、少し明るんでいました。リリスは慌てて立ち上がります。

「ボク、もう戻らなきゃ」
「そうね、わたしもそろそろ帰らなきゃ」
「こっそり抜け出してきたんだ」
「わたしも同じよ」

ふたりは笑い合い、自然と手を繋いで歩き始めました。何も言わなくても、手に取るように、ああふたりは今、同じ気持ちを抱いているのだと、分かったからです。

「わたしたち、これからもこうして会えるかな」
「もちろん、会おうよ」

名残惜しそうに、手を離すと、ふたりは手を振って、急いでそれぞれの家へと戻りました。

次の日。リリスは何事もなかったように、お父さんとお母さんに挨拶をして朝食を食べました。

「リリスも大きくなったら、お父さんみたいな立派なツノと翼が生えてくるのよ」
「ボク、きっと立派な悪魔になるよ」
「ええ、お母さんもそれを願っているわ…あら?」

お母さんはリリスの髪の毛に、花びらがついていることに気づきました。

「これはいったい、どこで付けてきてしまったの?」
「これは…」

リリスは慌てて目を逸らしましたが、しょうがないと思い、正直に昨日の夜のことを話しました。
すると今度はお母さんが慌ててリリスに言い聞かせました。

「その子は、マレス・ベルといったのね」
「うん、そうだよ」
「だめよ、その子は、天使の子だわ」
「えっ…」

リリスは言葉を失いました。マレスが天使だったなんて、信じられませんでした。
だけど、ボクとマレスは似た者同士なのに。分かり合えたはずなのに。

悲しくて、苦しくて、リリスはその日の夜ずっと泣きながら過ごしました。マレスにきちんとお別れを言わなければいけないと思いました。

「もう一度だけ、花畑に行かせてほしい。天使の子に、お別れを告げてくるから」

何度もそうお願いすると、お父さんとお母さんは頷きました。ただし、気をつけて行ってくるようにと念を押されました。

花畑につくと、そこにはマレスが立っていました。あの日と同じ、満点の星空が輝いていました。

「リリス、やっと会えたね」

花畑の中、嬉しそうに駆け寄って来たマレスを、リリスは黙って見つめました。

「どうしたの?」
「マレス、きみにはもう会えない」
「えっ…」
「もう二度と話してはいけない」
「まさか、リリス…あなたは悪魔なの…?」

リリスは静かに頷くと、マレスに背中を向けました。

「そんな、嫌よ、わたしたちこれからもずっと一緒だったはずなのに」
「もうやめてくれ、ボクは悪魔なんだ、一緒にいたらいつか不幸になるんだよ」
「わたしはリリスと一緒なら、不幸だって構わない」
「そんなのボクが許さない」
「どうしてなの」

次々と大粒の涙を流しながら、マレスは立ち尽くしていました。自分の運命を呪い、絶望を知りました。

「ああ…わたしはただ、リリスが好きなの…」
「悪魔なんか嫌いにならないとダメだ」
「悪魔じゃない、リリスはリリスだわ」
「ボクは天使なんか嫌いだ」

リリスは自然と自分の口から言葉が出ていくのが不思議でした。

「天使なんか嫌いだ、もう二度と、会いたくない」

マレスは声を上げて泣きました。ひたすら泣き続けました。そんなマレスを残して、リリスは涙で潤む花畑を振り切って、走り去りました。

その夜、リリスはずっと考え事をしていました。
どうすれば、マレスへの罪を償えるだろうかと、何度も繰り返し考えました。そして、ある一つの方法を思いつきました。

「ボクは…大きくなってお父さんやお母さんと同じツノと翼が生えたら…きっと…」

そう呟いて、リリスはいつの間にか眠ってしまいました。


それから何年もの月日が流れ、いつしかリリスには、子供の頃に想像していたような、立派な悪魔のツノと翼が生えていました。

幼い頃にはよく分からなかったものの、リリスは先祖代々つづいている、悪魔の王家の血筋の者でした。

物心ついた頃から、この世界の掟や悪魔と天使について記されている書物を星の数ほど読みふけり、大人になった今、リリスは悪魔界の王として君臨していました。

ある日の朝、一人の家来がやってきて、リリスに言います。

「リリス王様、天使の生け贄の日となりました」
「…ついに時が来たか」

今日は悪魔界で百年に一度行われる、生け贄の儀式の日でした。
この日になると、魔王様は天使界から一人の生け贄を選び出し、その天使を殺して神への誓いを唱えます。それがこの世界の掟だからです。

リリスにとっては初めての儀式となるため、恒例の宴はいつもより豪華なものとなりました。
それも終わり、やがて日が暮れて辺りに闇が満ちていき、その時はやってきました。

荘厳に満ちた静寂の中、リリスは言います。

「生け贄をここへ連れて来い」

しばらくして、命令を受けた家来達が、生け贄として選ばれた天使の一人を、リリスの王座の前に連れて来ました。天使は何も言わずにうな垂れています。

生け贄に背を向けるようにして立っているリリスは、真っ黒な空に浮かぶ三日月を見上げて、静かに呼吸を整えると、ゆっくりと天使のほうを振り返りました。

「……え?」

月光に照らされたリリスを見て、天使は驚愕のあまり声を漏らしました。その天使は、大人になったマレスでした。

「リリス…本当に…リリスなの…?」

表情を変えぬまま、マレスはぼろぼろと涙を流しました。愛する者に再会できた喜びと、これから目の前の悪魔に殺される悲しみが、同時に襲い掛かってきたからです。

「これから儀式を執り行う、お前達は広場へ戻れ」

マレスに返事をすることなく、リリスは家来たちに命令を下し、そして腰に携えていた黒光りする一本の剣を抜き取りました。

「わたしは…幸せだったわ」

剣には月も星も映ってはおらず、ただ真っ黒なばかりでした。リリスはそれを見つめながら、マレスの最後の言葉を聞き届けます。

「だってもう一度リリスに会えたんだもの…ずっと愛しているわ、ずっと…」

家来たちが残らず立ち去ったのを確認してから、リリスは初めてマレスの瞳を真っ直ぐに見つめました。

「……マレス」

音もなく、ただ真っ直ぐに見つめ合いながら、リリスは剣を掲げました。

「ボクも、愛しているよ」

刹那、真っ直ぐにリリス自身へと突き刺さった黒い剣は、真っ赤な血を流しました。
こちらへ倒れこんできたリリスの身体を受け止めきれず、マレスもそのままリリスと共に崩れ落ち、そして絶句します。

やがてリリスは目を閉じて、息をするのをやめました。

「どうして…リリス…?」

マレスは、涙が枯れないことを知りました。天使の白い羽根には、返り血が舞い、赤く染まっていました。

……どうして、わたしは天使で、あなたは悪魔だったの?

リリスの亡骸を抱きしめて、マレスは泣き続けます。
何のために、掟があるのか。何のために、羽根があるのか。考えても考えても、分からないままでした。

……翼なんていらない。空なんて飛べなくていい。ただ、あなたと同じ景色を見たかった。

マレスは静かに、冷たくなったリリスに口づけをすると、黒い剣をリリスから抜き取り、自分の胸を貫きました。

「生まれ変わってもきっと、あなたを見つけるわ…リリス」


「……マレス?」

リリスの声で目を覚ますと、そこは菜の花が咲き誇る、穏やかな昼間の庭のベンチの上でした。

「あれ…私は…」
「大丈夫かい?ずいぶん、うなされていたようだけれど…」
「…なんだか夢を見ていた気がするの」
「悪夢?」
「悪夢ではなかった…と思う…けれど、とても悲しい夢…」

マレスの頬に、一筋の涙が伝うのを見て、リリスは大慌てでその頬を優しく拭いました。
とても心配そうなリリスの顔を見て、少しずつマレスの胸に安堵感が広がっていきます。

「ふふっ…リリスったら心配し過ぎ」
「マレスが急に泣くからさ…」
「リリス…ありがとう」

マレスが花のように優しく微笑みを浮かべた瞬間、リリスは初めての気持ちを知りました。
それは恥ずかしいような、すごく嬉しいような、涙が出そうなくらい幸せな気持ちでした。

ふたりは笑い合い、自然と手を繋いで見つめ合っていました。
何も言わなくても、手に取るように、ああふたりは今、同じ気持ちを抱いているのだと、分かったからです。