漏れる

 人の悪口を言ったりしないわたしだって、胸の内ではイロイロ思っていることがある。口に出せば他人に悪い印象を与えてしまうし、自分だって嫌な気持ちになる。だけどその日はどうしてもそのまま黙っているということができなかった。

 「Tさんの態度、あれナイよね」と同僚にぽつりと言ってしまった。相手はふつうに悪口言っちゃうタイプの人なのですぐ話に乗ってきた。そうそう、あの人すぐ拗ねるんですよねーいい歳して。とか、まわりがどんだけ気を遣っているかわかんないんスかねー。とか。

 そんなやりとりをしていてすぐに「まずい」と思った。こんなことしたってスッキリなんてしないのに何をやってるんだわたしは。言葉はすぐに止めることができた。おとなだから(笑)そして「あーあ。いっつも言わないようにしてるのに悪口言っちゃったよ。気分悪いわー」って話を終わらせた。

 ところが、会社を出て、家に着いても「何なんだアイツ」って気持ちの噴出の方は止まらなかった。言葉と同じようには止めることが出来なかったのだ。ひとりだから口にはもちろん出さないけど、何様のつもりだ!とか、あんな態度とれるほど仕事できないくせに!とか自分の中のどこかから恨み辛みが「漏れ出して」くる。

 我慢のレベルが限界に達していたのだろうなと思った。今日だけじゃなくてだいぶ前からずっとTさんの態度の悪さにモヤモヤしていたのに、年上だし先輩だし触るとやっかいだからという理由で「まあ自分が我慢すればいいだけか」ってぐっと堪えたその回数がキャパを越えたのだろう。観ているテレビ番組の内容も入ってこないくらい「漏れ」のほうが激しかった。

 自分が気にいらないことがあるとすぐに「自分が一番つらい」アピールをしちゃう人がどうもダメ。自分より若い子だったら「まあまだ子供なんだな」って見過ごすこともできるけど、よりによって先輩がそんな態度だとどうしていいかわからない。自分は後輩だから説教って行為に至るのは間違っていると思うし、感情的になって罵倒する事もみっともない。そもそもそんな人のご機嫌取りをしているような「暇」はない。仕事をしなければ。残念ながらわたしには、ちょっと気に入らないことがあったからってイライラしている暇もないのだ。だけどそれを「迷子はイライラしてるのを見たことがない。きっとアイツには辛いことがないのだろう」とTさんに勘違いされるのは癪だ。

 イライラしている人は自分のことだけで頭がいっぱいになっているから手が止まっている。そうなってしまった人は触ると余計にこじれるから「なだめる」か「仕事を肩代わりするか」っていったら後者を取る。イライラするのは当事者ひとりの問題だけど、仕事が止まったらお客さんに迷惑がかかるのだ。

 Tさんは忘れているのだろうか。それとも気づいていないのだろうか。過去そうやって何百回もまわりに助けられていたことを。

 昔、Tさんのことをちょっと好きだったこともひっくるめて恥ずかしいし、腹立たしい気持ちが止まらない。わたしはいったいどれだけ我慢をしていたんだろう。

 誰かがひとつ我が儘を通せば、別の誰かがひとつ我慢をしなければならない。ならば世の中は我が儘言ったモノ勝ちだって、たびたび強く意識させられる。わたしは幸福はひとりひとりが個別に持っているものではなくて、全体量が決まっていて、全員でそれを「取り合い」していると理解している。その考えに基づけば「我慢しちゃう人」は徹底的に損だ。

 神様を信じられるような状況ではないけれど、どうか「我慢しちゃう人達」がいつか報われるような世の中であってほしいと思う。みんなが我慢をやめたら愛とか情とか、笑い事になってしまう。

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