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愚痴は恥ずかしい から逃れた日

ワタシには、愚痴を言うのは恥ずかしい事だと信じて疑わなかった若かりし日々がある。

20代の頃、今は昔…の新卒で働き出したころ
仕事場で疲れるだの何だのとマイナスな発言をする親ほど年齢の離れた人達を見て
ネガティブな発言をするのは恥ずかしい事で、格好悪い、仕事なのに!と見下していた時期がある。
私も若かったな、当時!と思えるのは今だからこそで。

当時は、ああなりたくないと心底思い
疲れていても、「大丈夫です!平気です!&頑張ります!」みたいな感じで毎日を過ごしていた。



そこに新しい視点がもたらされたのは何年も過ぎてからのこと。
転職して、「面倒くせー、休みてぇ!」っていいながら、凄い仕事のできる営業マンの人達を何人も見て「かっけー!!」って思った。

若かりし頃のワタシからしたら、営業車の助手席から見る
愚痴を言いながらもガッチリ仕事している営業マンの格好良く見えた事と言ったら。

価値観が白黒はっきり分かれていた所に、別の色を知らせてもらった時間。
あの時間を経て、自分本位で一つきりだった捉え方が少しグラデーションをもち、別の視点を持てるようになったと思う。

やる事やっていれば、うだうだ言ってる事すら余裕があるように感じられて、 むしろ格好よく見えるという裏ワザみたいな、見たことない景色を見せてもらった気がした。
脱力と本気の緩急の付け方の大人っぽさというか。

また弱音のたぐいの事をあえて言ってみせることで、相手の警戒心を弱める術を魅せられた気もしてる。あえて言ってみせるのは、人間味を見せること近づきやすさの演出でもあると。
そこである程度の長い時間を過ごし
営業しぐさの一端を見ることができたのは、とても良い経験でした。

ありがとう先輩達。

P.S.
自己のストレスのケアが上手くなった状態での他者への配慮のにじむ「愚痴を言わない」というスタイルは、周囲も心地よいかと思う。
過去の若かりしワタシのように、他者否定のスタイルからの「愚痴を言わない」は知らず知らずのうちに硬い厳しさとして周囲を緊張させることがある。

外側に出している結果は同じつもりでいて、前者と後者では柔らかさや他者を尊重しようとする気持ち、経験からくる配慮の有無など、そこに含まれている空気感や気配が異なっており、似て非なるものだと捉えています。※ワタシ調べ

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