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【不思議な出来事:7】とりあえず調べて行けるとこだけ行ってみた2021年7月中頃

行こうと思いながら、なぜか行動できない(行こうと思うと気が向かない)ので、とりあえず調べてから動いてみることにします。
※一部、怖い話に該当する部分があります。
注意書はしてあります。読んで怖くなっても責任はとれませんので、ご注意ください。


義円公園から円興寺へ行ってみた

義円公園

とりあえず、ふらっと行けるところ(市街地)から。。。
「買い物ついでに寄ってみよう」と行ってみました。

義円公園は大垣市墨俣(旧安八郡墨俣町)にあるとのこと。
少し北へ行くと墨俣城(一夜城)があります。
「こんな近くに、こんな場所があったのか!」でした。
この辺りで墨俣川の戦いがあったそうです。

公園の隣は畑なので路上駐車する以外に選択肢はありません。
公園と名前が付いていますが子供数人が手持ち花火をしたらいっぱいになるくらいの広さです。
実際に花火をする人もいるようで注意書がありました。

      (左側に供養塔があります)

      (墨俣川古戦場の石碑)

説明看板の上にはみっしりと枝の絡まった(たぶん)藤棚があり、供養塔にはお花がお供えしてあり、とてもきれいに管理されていました。
大事にされている場所だという事がわかり、なんだか嬉しく感じました。

とりあえず写真を撮って、供養塔へ手を合わせて、説明文読んで終了です。
余りにも早く終わってしまいました。。。
で、車へ戻ったところ「あ、円興寺へ行こう!」と思ってそのままナビ君に連れていってもらうことにしました。
なんだか義円公園へ行かないと円興寺へ行くことが出来ないようになっているかのようです。


ちなみに。。。
公園と言っても「ぜひ見に行って下さい!」と言えるものもなく、駐車場もないので路駐ですし、地元の方々は「この人、何しているのだろう」と言う表情をして車で通りすぎていきますし。。。
強いて挙げるなら「田んぼが多いから天気が良くて風が吹いてると気持ち良いよ」というところでしょうか。


円興寺

かなり久しぶりに通る道を抜けて山へ向かう道へ入っていきました。
田んぼと、古いお家とたまに新しいお家、いろいろな案内看板(こっちは○○、あっちは△△みたいなもの)、たまに農作業をするお年寄りを見かけます。
そして山へ向かっていくので、だんだん道も細くなっていきます。

すれ違う車の台数も少なくなって行くので迷ったら道を聞くこともできません。
少し不安になっていたところで円興寺への案内看板が出てきました。
途中でナビ君と案内看板の意見が割れましたが、ナビ君の地図を確認したところ、立ててある案内看板を優先した方が良さそうだったので案内看板を優先しました。
おかげで円興寺に近い駐車場に着いたようです。

     (駐車場の看板があります)

   (駐車場の向かいに看板があります)

      (階段の途中にあります)

       (源朝長について)


ここでも写真を撮って、案内読んで、階段を登って、手を合わせてと。
さくっとお参りが終わります。。。

本当にこれで謎が解けるのか、それとも鍵になるから行く必要があるのか、よくわかりません。
そして、ゾクゾクする事はなかったのですが不思議な感じはしました。
たぶん、また私のいる位置がズレていたのだと思います。

思い返すと、よくあります。
私の場合、守ってくれているように感じるので怖いと思ったことはありません。
閉じ込められた事もないですし。
私の用事が済むと必ず人が来ますし、人が来るタイミングで何かしら教えてくれます(砂利の音がしっかり聞こえるとか、砂利の無いところではゾクッとしたりとか)。

今回は工事をする音でした。
業者さんなのか1人、作業着で重機を使って作業をされている方がいたのですが、私が境内へ上がってから音が聞こえてこなかったような気がします。
途中の大垣市天然記念物の樹齢300年のクスノキの写真を撮った辺りで作業音が再開された記憶があります。
最初、音は偶然かと思ったのですが石灯籠に蜂の巣を見つけた時に「あ、またズレてるかも」と感じたのです。

    (境内から一段下にあるクスノキ)

    (クスノキ辺りから見上げた本殿)

私は飛ぶ虫(ハエより大きいもの)が苦手なので普段なら、すぐ気づいて逃げます(動くものが視界に入った時点で気づきますし、すぐ逃げる方が危険なときでも逃げる事しか考えません)。
なのに今回は最初は気づかず、2回目でやっと何かあることに気づいてから「あ、蜂だ」と。
石灯籠の色に近い色の蜂で、黄色より黒い色の方が多くて斑っぽい感じで、巣の表面を蜂が何匹かうごうごしてました(ここに書くことで、このまま私の頭の中から削除します。蜂の種類に興味はありません。)。
巣も10センチはあったように思えます。
なのに、素通りできたのです。

 (この看板左側の石灯籠に蜂の巣がありました)

普段なら巣を見つけた時点で怖くて逃げたくなる(酷いと身体がこわばったり、脂汗が出てくる事もあります)ので素通りなんてできません。
ズレている時は、そもそも蜂に人がいることを認識されていない様に感じるのか、ズレているので私が蜂が近寄ってこないと思うのか、怖いと思う感覚が鈍くなっている様なのです。
なので私の基準では「蜂が近くにいるのに怖く感じないときはズレてる」のです。。。
なぜかわかりませんが、そんな風に感じます。
特に夏場は。

   (いくつかルートがあるようです)

そして円興寺から山の中へ入っていくと頼朝の兄弟である朝長のお墓があるようです。
そして頼朝とはここで合流したらしいです。。。
岐阜について詳しくない私には「へぇ。。。岐阜って、そんな場所(平安時代から要所?だった所)なんだ。」と言う感想です。

  (本殿の片隅から入って行けるようです)

気になったのが「熊出没注意」の看板です。
「青少年憩いの森遊歩道」なのに熊が出る、とはどう言うことでしょう。

(遊歩道の看板横から入れるようになっています)

熊対策をしないと安全に進めないということなのでしょうか。
熊の前に蜂も気をつけないとですし、他にも虫がいましたし、蜘蛛の巣とか、ねえ。
それから「平安時代にも、この辺りには熊がいたのかな?」なんて思ってしまいました。


☆ここから下(次の目次まで)は怖い話の苦手な方にはおすすめしません。自己責任でどうぞ☆

また、蜂とは別に本堂から離れようとしたとき(階段を下りようとしたとき)に頭から両肩に鈍く重い感じ(丸いものが乗って来るような感じ?)がしました。
「嫌なものの感じではなさそうだけど変なものではないと思いたいけど、何だろう?」です。
車に乗る前に軽く払って来ましたが何かを連れて帰ってきた雰囲気はあります。
お香も焚きましたが、やっぱり何かいる気配がします。。。
お香も焚いても効果が感じられないので、もしかしたら人ではないのかも知れません。

実は南宮大社から帰ってきてからずっと部屋に何かがいるような気配がありました。
その気配を感じてお香を焚いても効果がないように感じ、そのまましばらくして円興寺へ行って、また何かを連れてきたような感じがしているのです。
南宮大社から帰ってからすぐに一度だけですが、お風呂で湯船に浸かっているときに扉方向から何かの気配がしたので、さすがにお風呂はやめて欲しいと思い扉へ向かって少し水を飛ばしたところ気配が消えたので「もしかしたら南宮稲荷神社辺りの狐かな?」と思ってしまいました。
水を嫌う動物は多いですし。

だからといって絶対に狐だと言いきれるわけではないのですが人っぽくない様な感じがする(人の場合、私の視界に入るか入らないかギリギリの背後に気配を感じる事が多い)ので、とりあえず「狐」という事にしています。

とりあえず私が寝るタイミングで音を出すのをやめてくれて、いたずら(微妙に劣化しているものを落とすとか、積ん読を崩すとか)しないでいてくれれば側にいてくれても良いのですが。。。
良い意味で受け取れば「劣化してるよ」と教えてくれた、積ん読も「高くなると危ないよ」ですが、実際は、劣化部分は「コレ何だろう?ツンツン→ボトッ」で、積ん読は「ツンツン→ゆらゆら→ツンツンツン→バサッ×2回(流石にコレは2回目で気がつきました)」な気がしてます。

ちなみに、劣化している部分(エアコンの室外機へ繋がるホース類と本体とを固定してある、固まらないパテ)はよくよく思い出しても明らかに剥がれかけてはいなかったので恐らく「剥がされた」可能性があります(ほぼ毎日、視界に入っている場所ですが剥がれそうな気配もなければ、割れている気配もありませんでした)。
積ん読は最初に崩された方はバランスが悪いのは気づいてましたが、2回目に崩された方はバランスが悪くない(安定して積まれていた)ので「わざと」以外、考えられませんでした。

「お願いだから夜遅くはいろいろと怖いからやめて!」って何回も思いました( ´△`)
必ず私が部屋にいるときにやってくれるため「ダメなものはダメ!」と伝えないとキリがなさそうなので、もう「いたずらっ子の狐がいる」という事にしておきます。

なぜか「多田神社へ行ったら何とかなる」という気がしているので、それまでは我慢することにしています。
いたずらっ子が怒られるのか、そのまま私から去っていくのかわかりませんが、もう少しの辛抱です。
(2021年7月16日時点で、まだ多田神社へは行けていません)

葭竹庵(芦竹庵)

義経が残した詩があるようです。
また、元圓願寺の石碑が近くにあるようです。
円興寺へ行く時に一緒に行こうと思っていたので、まだ大体の場所しか確認していませんでした。
なので今回は行けなかったのですが気にはなるので、また今度。
地図を見る限り、のどかな場所のようです。

何がなんだか

ロマンを感じて調べているわけではない私は
「あ~( ´△`)」となりながら調べてます。
なんでしょうね。
この調べないと進めない感は。
気になったら行けば良いのではないかと思うのですが、行くだけじゃダメなのでしょうか。

なんだか、ふわっと与えられるヒントから進めるRPGみたいに思えてきます。
進む先に何があるのか、何に行き着くのか、とりあえずゴールは無いと思っています。

「目的を持って生まれてきた説」で行くなら、常に目的をクリアして行くのみだと思うので。
きっと、ふと振り返ったときに「あれが目的の1つだったんだな」と思うのではないかと思っています。

物心がついてからを振り返ると、そう思えることが多々ある(たぶん今、調べている歴史については関係のない事ばかりです)ので私はなんとか目的をクリア出来ているのだと思います。
だから先に進んでいるということにする、としてももう少しわかりやすく何とか。。。ならないのかな?
という気持ちは既に出てきてますが。

RPGに例えるなら、京都へ行く事や美術品を見に行く事は飽きさせないためのエサの様に思えなくもないですが、行ったら行ったで不思議なことも起きるし、私の充電もできている(楽しい)ので悪いということもなく。。。

けどRPGだと後から、ちゃんと繋がる様になっているので繋がるのかも知れません。
本当にそうなったらなったで、ちょっと怖いですけど。。。繋がるような気もしてます。
けど、今回みたいに義円公園へ行かないと円興寺へ行けない(行く気にならない)みたいなのは、ちょっと困ります。

とりあえず、Webで調べた範囲で出てくる逸話や伝説、美術品等が答えのない攻略本のような状態なのかも知れません。
何もないところから本を調べるより検索すれば、いろいろ出てくるのはありがたいことです。

そう思うと寺社仏閣や地域の観光課の皆様、Web上にレポートや写真等をあげてくださってる方、本当にありがとうございます。
攻略(解決?)できるように活用させていただきます。
どこまで役立てることが出来るのかはわかりませんが少なくとも地図、由来、写真、簡単な時代の流れ等は本当に助かっています。


ということで

個人名が出てくるようになりました。
だからと言って何を指すのかわかりません。
私に向かって飛んで来る虫とか、大きい蜘蛛も苦手なので、自然の多いところへ行くのは悩みます。

とりあえず無事に多田神社へ行けたら次は石清水八幡宮でしょうか。

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