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なんで「ごめんなさい」が言えへんようになるんやろ*ワタシを哲学する

月曜朝イチから自分のミスに気づいて「あちゃー💦」
即座に報告、上司との電話の第一声で謝る
こーいう対応は早い方がいい(と思うねん、ワタシ)

起こってしまった事や”やっちまった”事は仕方がない

大事なのは、その後の対応



間違いや失敗を指摘されて、素直に認めて謝る事ができる人は
とても少ない

ましてや、自分から「間違いました」「抜けていました」
「ごめんなさい」と言える人は、めっちゃ少ない

言い訳を並べて「自分は悪くない」と言いたがる人は
とても多い

そんな場面を嫌というほど見てきて
そんな場面に自分のミスを認められず、見苦しい言い訳を並べ
返って墓穴を掘る経験もたくさんした(したんかーい)

だからこそ
「ごめんなさい」って言えるようになろ!
と自分の弱さやミスを全公開するようになった



大人になればなる程、立場が上になればなる程
自分や組織のミス等が認められへんようになる
ワタシ含めて多くの人が

なんでやろな

早いこと「ごめん、間違えた」って言うた方が
その後の対応にすぐかかれるのに

なんだかんだと理由をつけて
「私は悪くない」「組織は間違っていない」と
演技が入ったような目や態度で言う場面をTVでよく見るやん

恥ずかしくて、見てられへん・・・



実は、先日ある出来事を「おかしいのと違いますか」と申し上げ
上司が「そやな」と認め、先方に伝えてくれはった
先方が飛んで来て謝らはった

その時、先方の態度や言動を冷静に観察していて
「あ、これ ホンマに悪いと思って謝ってはる」とわかったのね

コトが起きた時、ごまかそうとしたり言い逃れようとすると
そういうのって全部伝わってしまう

むしろすんなり認めて謝って、早く対応した方が
相手も「誠実にやってくれてはる」と
それ以上怒れへんかったりする

実は、相手も”コトが起きた時、どう対応してくれるか”を
めっちゃ見てはると、ワタシは感じる



「ごめんなさい」が言えない
その対応も遅い
・・・となると、相手の不信や怒りは当然ながらアップする

なんかしら、はっきりせーへん
何やってるのか”わからない”
・・・こういうのも不信や怒りを買う

自分が顧客やユーザーになった時
問い合わせやクレームを伝えた時ってさ

すぐ返事がなくても「3日以内に対応します」とか
「少しお時間下さい」という言葉と経過報告があると待てるコトない?
ーワタシは待てる

「あぁ、ちゃんと受け止めてくれてはる」って思う



実は、仕事で前任者の対応の不味さを実感していて
なぜ、問題を勝手な判断やルール無視のやり方で
対処してたんやろ…と感じる事が多く

面倒がらず最初からちゃんときっちり対応していれば
今頃、こんな事出てこうへんのに…

だからこそ、対応不十分な点を指摘されると
謝ったり、上司に報告して
上司もスルーしたがるのをお尻を叩いたりして

「なんで今頃、こんな事せなあかんのやろ」と思いつつ
ワタシの仕事なので仕方がない
誠意を持ってやるしかない



「ごめんなさい」を言うことは決してカッコ悪くない

むしろ清々しい
認めてしまおう、至らへんのが人間やん

至らへんところを素直に認めて
フォローしてくれる人に「ありがとう」って言うたり
「ごめんな」って言うて一生懸命対応する方が

誰かてミスするし…、チームのみんなでやろう、とか
ワタシかてミスするし、この人だけの問題ちゃうやん、とか

パーフェクトでミスなんて無縁です、みたいな人に
いろいろ落ち度がある自分は見せられへん事ない?
友達になれへん事ない?

そんなロボットみたいな上司に当たったら
仕事辞めたくならへん?



人は(自分は)間違える、失敗する
ーこれを前提にしてしまった方が楽、絶対
間違いやすい、失敗しやすい…どこに改善点があるか?
それを考えた方が前向き

ミスや失敗が起きた時こそ
人間が出るし、チームの力が試される

そして、「ごめんなさい」が言えへんより言えた方が
周りが助けてくれるはず
そう、言えた方がええねん

カッコわるいと思える事を思い切ってやってしまった方が
自分自身も気が楽やで(突っ張るよりずっと潔い)




大人になればなる程、立場が上になればなる程
「ごめんなさい」が言えなくなるのは
要は「カッコわるいトコ見せるのが恥ずかしい」からちゃう?

隠せば隠すほど、実はみっともないし
せっかくの信頼がダダ下がり

むしろ「いやー、間違うてしもたー。ごめんなさい」
って言えるエラい人って、チャーミングやん

「悪かったなー、フォロしてくれてありがとう」なんて
上の人から言われたら、嬉しくなるけどな



「ごめんなさい」を素直に、そしてすぐ言うようにして
めっちゃ楽になりました
何を意固地に取り繕ってたんやろう

相手にどう思われるか、より自分はどうありたいか?



今日も”ワタシの哲学する”は ガタゴト ガタゴト










自分がええなぁ、おもしろいなと思うもので人とつながり、楽しく働けたらなぁ。