わたしが伝えたいことを哲学的に書いてみたw

※去年5月頃ブログに書いた記事です。

神社や神様というのも、単なる装置であり人間が作ったもの、仏だとか、大いなる存在、ハイヤーセルフ、いずれにしても、言葉で表現されているものはすべて、人が考えたもので、人が作ったものだ。

それらは、メタファーであり、スピリチュアルとはファンタジーだとわたしは思っている。


わたし達は意識を使ってこの世界を作っている。


故に、今目の前にあることも、あるのかないのか、本当はわからないことで、実にリアルな夢を見ているだけなのかも知れない。

実際に凄くリアルな夢を見ていたり、時にはそれほどリアルではない夢を見ていたとしても、それが夢であると気付いて、その夢から意図して目覚める人はごく僅かだ。

今この世界も、そういった長い長い夢の中かも知れないが、それを証明する方法はない。

この夢から目覚めて初めて、これが夢だったと気付く、実在しないものだった、自分の意識が作ったものだったとわかるだけである。


自分の意識が作り出す夢は、本来純粋に自分の創造性だけで、望むものを作れば美しく幸せなものになるはずだが、そこに周りの影響、様々なエネルギーが関与する事により、怖いものになったり、嫌なものになったりする。


今わたし達が見ているこの世界、わたし達の意識で作っているこの世界を、よりよいもの、美しいもの、心地の良いものにしていくためには、それに対して、そうなっていくための刺激や、そうなっていくための意識というものが必要だ。

そういうことは、自分の意識の中に一体何があるのか見ることが重要で、そこを見ずして、自分の現実、見ている世界をより良くしていくとか、心地よくしていくとかは出来ない。


誰かに頼って変えてもらおうとか、神仏を拝むことで変わるとか、何かのグッズによって変わるとか、パワースポットに行くことで変わるとか、そんなことは、ありえない、ということは、ちょっと考えればわかりきったことだ。

なのについつい、そういう外のものに追い求めてしまいがち。


自分の意識が自分の世界を作っている、そういう事に気づいてしまえば、つまりは、長い夢(または思い込みや錯覚)から目覚めれば、自分の意志で、自分の意識だけで自分の現実を作っていて、外からの影響を受けないようにすればするほど、簡単に、シンプルになっていく、ということがわかる。

けれども、実際は、様々な回りをとりまく、自分の意識ではないもの、他の価値観、他の教え、常識、過去からのん習慣、風習、などにより多くの影響を受けているということもわかる。

となると、自分の意識と思っているものも、ひとつずつ取り出して、検証して、本当に自分のものかどうか、人から言われてそうだと思っているだけなのか、また自分にとって必要なのかどうか、また必要だったとしてその意味を自分が心底理解してわかっているのかどうか、自分の体験や経験に基づいてそう思っているのかどうか、などを見ていくことをしないといけない。

実際、その作業をしないことには、何も変わらないし、前にも進めないと思う。
そういうことに気付いて、その作業を来る日も来る日も、毎日毎日、やり続けると、いろんな必然が起き、ヒントや答え合わせがやってきたり、探し求める答えがわかるような出来事が、否が応でも起きるようになってくる。

様々なことに目覚め、気付く、成長する、という方向へ向かわせる力というものが働きかけるのを感じるようになる。

これは、とてもありがたいことで、この世界のシステムは、自分が求めたものが顕れて、望むものが与えられるようになっている。

そこを理解すると、そういうエネルギーを借りて上手に前に進めるようになるし、実際は前に進むのではなく、より深く自分の内側に入っていくのだということもわかる。

ここに働くシステムや力は、中盤で書いた外にあると思って求め頼る神仏やグッズやパワースポットというものとは、全く違うエネルギーのこと。

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