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#8 YTT33kコース解説④

大峠〜芋ヶ峠までを解説

 大峠からは眺望も無い地味な杉林を進みます。細かなアップダウンがありますが、大きなピークを踏むことも無く、人里から離れた感覚が一層増します。この辺りは滅多に人と会う事はありません。踏み跡が少々薄くなり、迷いやすい箇所が所々ありますので、先導に従って進んで下さい。

今回解説のルート


 大峠から、次の大きな分岐ポイントの竜在峠近くにある昔の茶屋までは4キロ強の距離があります。途中、日本300名山に数えられる竜門岳分岐を過ぎ、細峠に出ると今までのトレイルから急変して広い道に出ます。


細峠

 吉野町三津集落の上部で、かつて吉野桜の季節は、多武峰から吉野へ抜ける人々で大変賑わった場所でした。明治初期、ここを直ぐ下った吉野側周辺には20軒程の家があったそうです。今でも屋敷跡が少し残っているそうです。

 ここの峠で目を引くのが、松尾芭蕉の句が刻まれた石碑です。全国各所を旅した芭蕉は吉野に来た折、この峠を通って一句残しています。

細峠にある芭蕉の句



 この先は暫く車が通れる程の広く平坦な道ですが、広い道は途中で途切れ、杉林の細い脇道に入ります。途中に崩れやすい場所があるので、当会で毎年整備を行い安全を確保しています。


竜在峠(昔の茶屋跡)

 ここも細峠と同じく、多武峰から吉野に抜けるルートとして多くの人々が利用した道です。茶屋跡の少し芋ヶ峠に進んだ所に竜在峠があります。鹿路トンネルから登って来る道、冬野集落を経て多武峰から来る道、吉野へ下る道が混在する要所となります。

 茶屋跡に至るまで、一山迂回した様なルートになります。この山は、下から見上げるとこんもりした丘の様に見えますが、三角点があり、城ヶ峰と呼ばれています。かつてここには関所で、多武峰に侵攻する勢力を防衛する砦、竜在城が築かれていたそうです。

 茶屋跡には現在小さな東屋があります。この中には医者で、古事記を注釈した国学者として有名な本居宣長が、ここを通った際に書き記した文章が掲げられています。

昔の茶屋跡




激坂を経て芋ヶ峠へ

 竜在峠から先は踏み跡が濃くなり、走りやすい箇所も多くなります。ただ、イベントは9月に行われるため、音羽三山より体力が削られ疲労が出て来るポイントでもあります。

 芋ヶ峠の少し手前に急な斜度の下り斜面が現れます。走って下るのは危険ですのでロープ伝いながらゆっくり下る事をお勧めします。

名物の急坂



 ここまで三つの峠を越えて来ました。今回の旅最後の峠がこの芋ヶ峠です。ここは飛鳥時代より、皇族が吉野に行き来する道と言われ、近鉄電車が開通するまでは多くの人が利用していました。明日香方面へは柏森まで古道が残ります。

 芋という名前は疱瘡(天然痘)をイモと呼んだそうで、疫病神を払う意味で付けられたと言われています。

 イベント時はここで素麺を準備しています。マムシ隊長の作った漬物があるかも知れません。疲弊した体に素麺は優しく、エネルギーを与え、漬物の塩分は活動を助けます。そのうちマムシ峠となるかも知れません。

定番ママのそうめん
塩分が染み渡ります
しっかり補給して次の高取城趾まで
前回はじゃんけん大会ありました。
エナジー西手さんのエナジーTシャツ!



 ここまで大峠から4個の峠を経て来ました。地味な道なのですが、歴史的には多くの人が行き交い、賑やかだった筈です。その頃を想像しながら駆け抜けてみると、より一層この区間が楽しく思えます。

続きましてはラスト。
高取城址からゴールまでをご案内します。

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