見出し画像

Dear Heather

6年前イギリスに留学していたとき、
せっかく大好きな国に行ったのであれば、
現地での生活に、
一分でも、一秒でも長く関わっていたかった。
現地の友達をたくさん作って、、、
なんて考えていたのも束の間、
かなり閉鎖的な民族だな、というのが
行って一週間くらいで分かった(笑)
そりゃみんなが大学生活を楽しもうと全力を注いでいる中で
留学生に親切にしている学生なんて、
よっぽど国際思考が強いか、
自国でも少し変わり者と見られている人に違いない。

ここでイギリスの友達を作ることを諦めるのか、
と思っていた矢先、
一緒に留学に行っていたクリスチャンの友達が
チャーチに行かないかと誘ってくれた。
現地の人がたくさん来ていて、
中でもとりわけ親切なおばあさんが
初めて会ったにも関わらずお家に呼んでくれたというのだ。
今考えると不純でしかない動機だが、
私は「そこに行けば、毎週通っている現地の友人を作れる!」と思った。
そして、クリスチャンでもないのに友達と日曜日に教会に通い始めた。
前置きが長くなったが、その親切なおばあさんこそがヘザーだった。

改めて思い返してみれば、ヘザーのことを何にも知らないのだな、と思う。
知っているのは、
熱心なクリスチャン教徒であること、
日曜日礼拝が終わった後は
チャーチに来ている若者をサンデーローストに呼んでくれること、
音楽の指導に携わっていて
しょっちゅうコンサートを聴きに行っていること、
おばあさんなのにFacebookをやたら使いこなしていること
(誘ってくれる時は常にFBのダイレクトメッセージだった)
リアルにそのくらいかもしれない。
多分ヘザーもそのくらいしか私のことを知らないはず。
そんな感じにも関わらず、私たちは日曜日の午後に
礼拝が終わったらヘザーの家に行き、
午後は延々とサンデーローストのお手伝いをし、
16時くらいから食べ始めて、他愛もない話をしていた。

ヘザーはほとんど何も知らない留学生を家に招き、
サンデーローストを食べさせ(もちろん無料だし一度や二度の話ではない)、
誕生日パーティを開き、
とてつもない量のエッセイを提出できるか
不安に押しつぶされそうな時には、祈り、励ましてくれた。
これが無償の愛なのか、とさえ感じた。

帰国してからは滅多に連絡はしていなかったが、最後のやりとりは1年前。
ヘザーが結婚のお祝いのダイレクトメッセージを送ってきてくれたのだ。
あれだけたくさんの留学生と知り合いなら、
1年間くらいの付き合いで
ましてやクリスチャンでもない私のことなど、
忘れているとさえ思っていた。
だから、本当に嬉しかった。私の留学生活において
あなたはとても大きな存在だったのだけれど、
ヘザーにとっても、そうやって思い返せる存在であれたのだと。
今考えると、結婚というきっかけがなければ
こんな日が来ても、ヘザーは私のことは忘れただろうな、と思っただろう。
神様が最後に私に与えてくれたヘザーとの時間だったのかもしれない。

ヘザー、あなたを思い浮かべるときは
いつもサンデーローストの匂いと共に、
あなたの小さくて、あたたかい背中を思い出します。
たくさんの思い出と、愛をありがとう。

R.I.P.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?