造花なんてやめればいい

ずっと男の子になりたいのだと思っていた。
その理由もわかっていて、自分に女としての自信がないからなのだった。だから正直に言えば、男になりたいのではなく、女としてみられたくないだけなのだと、最近気づいた。

世の中には物心つくころから”女”として扱われてきて、それに慣れている人間がいる。幼き頃から大人たちに可愛い、可愛いと褒めそやされ、フリルのワンピースやピンクの小物を与えられてきた人たち。自己愛というものが健全に育まれる。そうやって成長してきた人たちは、きちんと自分の性を認め、まわりから期待されている振る舞いができる。”華”としての自分の役割を意識し、微笑みを絶やさずお行儀よくそこに佇んでいられるのだ。

他方で自分の性を認めることができない人もいて、そういう私はたいてい”華”がうらやましい。それまで中高一貫校でぬくぬくと育ってきた私は、18歳を迎えて外の世界へ出た瞬間、”女”としての役割を与えられた。降りかかってきたという方が正しいほど突然だった。周囲からの「女たれ」という期待に戸惑いながら、コピー、貼り付け、コピー、貼り付けを繰り返し、やり過ごしの5年を終わらせた。

しかしやはり自分は造花なのだと、本物の華を見る度思い知らされる。女として期待されるような振る舞い、あいづち、微笑み。服の袖口から言葉の端まで、女としての揺るぎのない無邪気な自信が広がっていて、おそろしくなる。
実際に自分が男に生まれ変われたとして、男としての役割を十分に果たせるかもわからない。ただ、私はそういう華と同じ土俵に立ち、圧倒され、比べられ、評価されることが怖いのだ。そういう弱さがねじまがり、「男になりたい」という逃避へと繋がる。

フェミニストを気取る気はまるでなく、 男性に勝ちたいとも思わない。女だから、得してきたことだってあるはずだ。
ただ男とか女ではなく、まっさらに、まっしろにみられたい。
造花なんてやめればいい。性別なんてやめればいい。そしてまだ、誰もみつけていない新しい性別になればいい。

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