最低最悪な源家族へ パート3

髪型も決められ、両親が気に入らないものは全て排除される。

部屋も母親に勝手に家捜しされ、勝手に物を取られたり私宛に来た文通相手からの手紙を無断で読まれたり…プライバシーなんてなかった。
それから読んでいたティーン向け雑誌も、年頃の子たちが直面する「性」についての記事があるのなら問答無用で捨てられ、友達とやり取りをしていた交換ノートも読まれた。
交換ノートを読んだのか、母からは「あの子と付き合っちゃダメよ。だってあの子の家って貧乏だから」とか「あの子、お母さん好きじゃないの。だから連れてこないで」とか言われる始末。そして母親は私の友人も選びだした。だから私が好きでもない子と付き合うことをしなくてはならなくて、苦しんだりもした。

小学校六年生から通っていた塾も父親がそこを気に入らないからと私は中1の秋に母親に無理やりやめさせられた。

塾をやめさせられ、私は途方に暮れていたとことに今度は母親が進研ゼミを私に黙って申し込んでそれをやるように言いつけたのだ。最初は嫌すぎて戸惑ったけれど、やってみたら自分には合う勉強法だった。毎月テストを送り返して添削してもらい、そこに赤ペン先生からの手紙や一言が添えられていたのがとても楽しかった。ほんの一言なんだけど、それが私を勇気付けてくれたり友達と話すような気持ちで話せたりして、学校にいるよりも楽しかった。
だから私は頑張って毎月答案を送り返していた。その都度通信欄に学校での出来事や学校の先生があるタレントさんに似ているとか、親友の話や練習しているピアノの曲の話とか…たくさん書いた。返事はとても丁寧で時には厳しい意見やアドバイスを書かれていることもあったけど、楽しかった。
おかげで学校の成績もうなぎのぼりだった。二学期までは学年390人中180番ぐらいだった私の成績は、学年末テストでは5教科で合計410点、学年で63番という好成績を収め担任の先生からも思いっきり褒められた。

2年生になっても進研ゼミを続けたかったのだが、今度は母は勝手に学区外の学習塾を申し込んで進研ゼミをやめさせたのだ。
正直学習塾には行きたくなかったのだが、受験のためだと無理やり行かされてしまった。
そりゃ、母親の立場では塾に行ってるのよと言いたいのでしょう…けどそれも親戚やご近所の目を気にしての見栄だったと思う。幸い学習塾に移って成績が下がることはなかったけれど、とにかく嫌で嫌で仕方がなかった。
そこの塾は市内一の進学校への合格者も多数輩出しているとは言うけれど、不良の生徒も何人もいて授業を妨害するし塾長以外のクラスでは学級崩壊レベルに悪化する…。それがストレスでしかなかった。
そんなある日、私は我慢の限界で授業を妨害する生徒たちに「うるさいっ!」と言い放ったのだが、そのせいで塾から出たところを待ち伏せされて殴る蹴るの暴力を受けたのだ。ちょうど母親が迎えに来ていたので、母の待つ車に逃げ込んで難を逃れることにはなったが、当然ながら母は塾に乗り込んで行ってクレームをつけていた。
私は訳がわからぬ状態で暴力を受けて、逃げるときに足を挫いたり、本当にズタズタだった。頬を拳で殴られ、身体のあちこちを蹴られ、襟首を掴まれて髪を引っ張られて…
正直この時点で塾を辞めてまた進研ゼミに戻りたかったのに、母は体裁もあるからと私を引き続きその塾に通わせたのだ。けれど暴力事件の後一ヶ月は塾を休んでいた。行きたくなかったから。
ちなみに私に暴力を振るった主犯格のみ退校処分になったようで、他の関係者はお咎めなしだった。

それでも自らの体裁のために私を利用して、塾に通わせた…今でも許せない。

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