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武尊と男の価値

本日この後。那須川天心対武尊。

この5年間、立ち技ファンなら誰もが口にしたことがあって、そして、けして実現はしないだろうと思っていた夢のカードだ。

実現しないだろうと思われた理由の一つ目は、天心の価値が積み上がりすぎたことだ。無敗の神童には、無敗のままボクシングに転向するか、引退するかしか許されない。負けのリスクに見合う相手が、既にいないのだ。もちろん、武尊の価値も半端じゃないのだが、その武尊の価値を持ってしても秤が釣り合わないぐらいに、天心の価値はあがってしまった。
理由の二つ目は、武尊が一貫して、K-1の絶対的なエース、大看板だったことだ。K-1は、K-1所属の選手にK-1以外のリングに上がることを認めていないし、K-1所属以外の選手がK-1のリングに上がることも認めていない。興行として成立させる以上、K-1の物語や価値は、K-1の文脈の中でのみ循環すべきであって、他所に流出することは許さないということなのだろう(ちなみに、ボクシングや総合の団体にも同じような規制があるので、K-1だけが特殊なわけではない)。
誰よりも強く、華があり、求められた場面で求められたKOを重ねる武尊は、K-1の唯一無二のエースでありつづけたけれども、そうであればあるほど、武尊が他団体のエースと闘い、そして万が一にも負けるというリスクを、K-1はけして許さなかった。

だが、その夢のカードは今夜、実現する。
この数年間、武尊に向けられた誹謗中傷、彼が天心から逃げているという誹謗中傷は、本当にひどいものだった。あまりにもひどい中傷が繰り返された結果、天心戦以外の華やかな勝利の数々によって、本来武尊が得られたであろう評価すらも、ずいぶんとスポイルされてきたと思う。
だがそれでも。武尊はけして、K-1への恨み言を公言することはなかったし、K-1を離脱するようなこともしなかった。また、離脱を盾に取り、試合実現を強要するような真似もしてこなかった。
もしも武尊が本気で、自分のことだけを考えて、K-1がどうなろうとかまわないと考えて、こうした行動をとっていれば、この試合はきっと、ずいぶん前に成立していたはずだ。
だけど武尊は、本当にひどい誹謗中傷を我慢して、我慢して我慢して、粘り強く折衝を続けて、K-1もRISE(RAIZIN)も、皆の顔を潰さない素晴らしい舞台を整え、今夜天心と対戦する。
男の価値は、我慢だ。苦しい時に、どれだけ自分以外の者のことを考えて我慢することができるかだ。
時間はだいぶ遅くなってしまったけれども、それでも、この舞台を整えることができたのは、武尊の男の価値の証明そのものだ。
受けた天心も本当に素晴らしいが、俺はそこに、無限の価値を感じる。
願わくば、今夜だけは武尊に勝ってほしい。そんな話。

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