なぜ人形が好きかという話

今年の初めにいくつか一年の目標を考えた時に、言葉を使うのがあまりにも下手くそなので言葉が使えるようになろうという雑な目標を立てました。で、その練習としてここを開設しました。今日。何事も続かないので、これもそれほど長くは続かないと思います。

書く事も特に思いつかないのですが、好きな話なら書けるんじゃないかという事でとりとめのない自分語りをします。

私は人形が好きです。
何でも好きというわけではないですが、多くの人が最も「やばそう」と感じている球体関節人形が特に好きです。
どういう経緯でそうなったかは省きますが、人形の写真を見たり自分が持っていたらこういうウィッグをつけてこういう目を入れてこういう服を着せて、という想像をします(今は持っていないので)。
人形の良いところは色々ありますが、自分の場合は最終的に「写真」に行き着きます。
写真に写っているものは全て現実です。そこにある15cmの椅子も、5cmの本も、光も空気も、現実にあるものが写っています。
人形ももちろん現実です。現実の、プラスチックや樹脂でできた人型をした何かです。
それをうまい具合に配置して、部屋のように見せかけたり、人形の目に光の入る角度を調整したり、顔の向きの影の落とし具合で表情を作ったり、見せたくないものを排除する構図を練ったりして、一枚の写真になった時。
「生きてる」ように見える何かになるのです。
今ちょっと怖いと思われたかもしれません。生きてはいません。いませんが。
生きていないものが、生きてる人間のふりをしているかのような、
絵でしか表現できなかった理想の少年少女の世界が、人形が主人公をやってくれる事によってその他全てを現実にあるもので賄える、低コストな夢創造装置なのです。
その現実と実際には命の宿っていないものの融合が、境界がなくなっている感じが、完璧に美しいという風に見えるのです。
自分ではまだそんな完璧な写真が撮れた事はありませんが、人様の写真を見てうっとりしています。

とはいえ普通にその辺に転がっている姿を見ているのも幸せです。
カスタムするのも楽しいし、ポーズをつけて日常に溶け込んで何かをしているような形にしておくとめちゃくちゃ楽しくなれます。
特に小さめのサイズだと、妖精と同居しているようで現実と妄想の境目も曖昧です。(合法です。)

理想の世界はカジュアルだったりファンタジーだったり様々で、素体さえあればどんな服を着せてもいいしどんな顔、髪型にもできるというのも人形のいい所です。あんまり興味のない方はゴシック!ドレス!あるいはエロ!なイメージがあるかもしれませんが、およそどんな世界観でも受け入れてくれる素地があるので、写真を探してみると、こんな世界もあるのか…というディープな愛で方に出会えると思います。特に海外勢はすぐ毛を逆立てたりオッドアイにしたり全身緑色にしたりタトゥーを彫ったり欠損させたりとやりたい放題なので(その辺りは自由だな〜と感じるのが大好きなだけで所有したいとは思わないのですが)、新しい世界を見てみたい人にはおすすめです。…なんの宣伝なんだ?

よくわからなくなってきたのでこの辺りで終わります。