見出し画像

溢れるものだけが他者を救う


世界に無関心でいいのか?

無関心なわけじゃないけど
近寄りたくない

それでなくてもいろいろ刺激されて
イヤな気持ちになって
その不快感をどうにかしたくて
「何かしなくては」となってしまうのだから

それで手を出せば
巻き込まれて泥沼で
イヤな気分にしかならないのはわかってる

目の前で溺れている人が、
助かる気のない人=自分を変える気がない人なら
しがみつかれて一緒に溺れるようなものだから
それは上手くない

溺れている人に
「あなたが溺れているのは、
あなたが大事なもの(実は要らないもの)を
たくさん抱えているからですよ」
だから捨てましょう」
と言ってどれだけ理解されるだろうか?

そう思うと
手を出したくない気持ちにもなる

なるほど
地球の惨状を静観している宇宙種族は
こんな気持ちなのかもしれない

助かりたくない人=自分を変える気がない人を
助けるのはとてもリスキーなことだ
それはわかる

人生に溺れている人を発見した時
我慢できずに飛び出してしまったなら
助けるのはその時限りにしておく方がいい

「助けたのは相手のためではなく
自分の抑えがたい不安や恐怖を解消するためだったのだ」
そんな客観視は大事だ

わたしだって
まだ自分の人生に溺れてる最中だ

溺れてるわたしが溺れてる人を助けに行ったら
どっちも沈んでしまう

でもわたしが
ここが足の付く場所だと知っていたなら

足がつかないと思い込んで溺れている人の
手を掴んで引っ張り上げることが
一度くらいなら出来るかもしれない


ーーー溢れるものだけが他者を救うことができる


そうか、そういうことなのか

成そうとして成すのではなく
放っておいてもそう成るのだ
溢れていれば、自然に

だからわたしは
自身から溢れるものがたくさんになるように
ひたすら自分を変えていけばいい

今はわたしの中で起こる様々なジャッジで
イヤな気持ちになりながら
目の前で溺れている人を見ている

でも、溺れている人の中にも
喜びや温かさや美しさ、本物さがちゃんとある

そこに触れれば、溺れている人は
自分が本当は足の付く場所にいることに
気がつくかもしれない

溺れている人の本物さがわかるのはきっと、
わたし自身が“溢れるもの”である時だけだ

“溢れるもの”はジャッジしない

“溢れるもの”は、
溢れ出たものがその後どうなろうと気にしない

そんな在り方だから
素直に本物さを見ることができる

ーーー溢れるものだけが他者を救う

そこには救うなんて意図もないのだろう
ただ在るだけで、
他者が自然にいろんなものに気がつくだけ
そんな感じ

だから自分自身を癒すことが
まず最優先なんだ

自分を癒して
自分を愛して
自分の中が満たされたら
それが溢れ出て他者に行き渡る

その流れが大事なんだ

わたしは今、“溢れるもの”だろうか?
いや、まだまだだな

まだまだと言ってる自分は
自分に制限をかけているな

それでも、本当に
気がつくことはまだまだたくさんあるのだ



最後までお読みいただき
ありがとうございました🙏☺️

🌈 We love the Earth 🌏 💕

✨💖 I love myself 💖✨


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?