見出し画像

まずはじめに自己紹介③

(写真は、「ろう学校の巣立ち」をイメージしたものである。)   

聞こえない世界で小学→中学→高校と18年間、学校生活を満喫してきた。これは、コミュニケーションというより同じ聴覚障がい者という同じ境界で生きる人々の繋がりがあったから、抵抗もなく色々と楽しく吸収できることは多かった。

そんな環境から一転、全く経験したことのない未知数なきこえる世界に飛び込んだ大学生活の始まり・・・。

耳がきこえない私は、幸い情報保障のひとつノートテイクとPCテイクが充実しているというS大学に進学した。本来ならば、他の大学の選択肢もあった。でも結局はS大学を選び、ろう学校初めてのAO入試を受験し初の合格者という快挙を実現したのだ。後にAO入試の内容もだんだん変わり、ろう学校の生徒にとっては一般入試や推薦入試よりは、受験しやすいという選択肢でもある。

でも当初のAO入試は、学校にとっても過去にない初めてのことだったので色々と努力をしてくれたことに感謝を申し上げたい。こうして入学したS大学には、実は卒業生も何人か進学しているという実績がある。その理由として情報保障があり講義を平等に受けることができるというメリットが最大である。

その情報保障を初めて受けながら、大学生活を過ごしてきた。もちろん、その中でいくつかの出会いや気づき色々と初めてのことが多くあった・・・。特に一番大きかったのは、特別支援教育の始まりのタイミングだったからである。2011年、大学3年のときである。

当初は、高校公民の免許を取ることを目指し履修登録したので大学3年の時点で必要条件を満たしているはずだった。つまり、4年生は空き時間も多く違う生活を過ごす予定であった。ところが、特別支援教育制度に変わると知ったとき、履修条件も大きく変わった。ろう学校で教鞭を執るには特別支援学校の免許取得が必要である。これが学部で取得できるようになったからである。

しかし、私は大学3年。。卒業まであと1年である。必要な履修を取るにはかなりの数が必要だったことを思い知らせることに。汗><。仕方なく、夢のために結局1年生同様に時間割がほとんど講義で埋まるかのように履修条件を満たすことを選ぶことになったのである。結局、他の4年生よりは大学に行く日々がほぼ毎日だった私である。だからゆっくりとした満喫な思い出が思い出せないほど、記憶少ないし同級生との絡みも足りなかった。笑!

こうして大学4年には介護体験、教育実習というハードさも乗り越えてようやく取得した単位合計168単位!!実に卒業条件の124単位を超える単位数で旧免許法に基づき、3つの免許を取得できたのである。

そして時間をかけてきたために教採試験もそれなりに自信持って望むことでき、一発合格。そして倍率高いはずの「高校公民」にもたった一人、受かったという好成績は、大学に貢献する素晴らしい評価を頂いたという私・・・。障がい者枠とはいえ、教科で選んだことが大きな理由だったという褒め言葉は忘れられない大学の学びの集大成である。卒論はなかったもの、同様の価値を得られたと思っている。

このような学びの蓄積した努力が、今も通信制大学で新たな免許取得のための根気な姿勢を持つことになったのも一つの性格かもしれない。笑!

学習することが嫌いだった私が、やりたいことを実現するためには必要な教養だと思って前向きに取り組むことがいつの間にか。免許を増やしていく実績を残すのでもあるが、実にいうとこれは全く意味のない日々だっただろうかと思うこともある・・・。(免許法と現場の活用については後ほど述べる)

・特別支援学校教諭1種免許状(知的病弱肢体)           

・高等学校1種免許状(公民・情報)            

・中学校1種免許状(社会)                     

・特別支援学校2種免許状(聴覚)

これが現在の私の実績?!である。今もなお、新たな免許(地理歴史)取得を目指して履修中であるが、当初の目標は実はこの免許であり、大学時代の当時は北海道では取れなかった。ようやく取得できる方法が昨年度から始まり、かなり遠回りしてしまったのである。でも非常に大学の学びというのは、色々と吸収できることが大きい重要な経験だったと思う。だから教育にかける想いは、誰よりも負けない多少の教養を持っている自信はあったと言っておきたい!

話がずれてしまいましたが、、大学生活の中で思うことはきこえる人との関わりで聞こえる人の文化そのものを色々と考えさせられることが多かった。

言語性の違い。きこえる文化ときこえない文化は変わらない。      ただ一つ、それはコミュニケーションの意思疎通の理解である。

この気づきをYouTubeを通して伝えることもあるが、のちに社会に出て色々と見直すことの出来ることも多く繋がったきっかけになる。

こうして10代は終わり、20代へ繋ぐようになる。            以上が、私の自己紹介である。