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障がいを理解することって

デフスタディの時間を始めるにあたり、大きな柱として設定した。   「医療」「教育」「スポーツ」「ろう運動」である。

特に「医療」という柱は、最初に触れるべき柱だと思っている。まず、私自身の抱えている聴覚障がいということをみんなに知ってもらうことがとても大事であり、かつ同じ障がいを持つ人間がたくさんいる中で経験を共有しているんだということを改めて再認識する必要があった。

とはいえ、聴覚障がいって何か。健常者から見ると、車椅子とか白杖をもつ人と違って見た目では分からない見えない障がい者である。だから勘違いとか気付かないということがまず第一印象である。

会話することの意思疎通がきっかけで耳が聞こえないということを知る。これが聴覚障がい者の触れ合いではないか。だから環境によっては、まだ出会ったことないということも多いのがきこえる世界ならの当たり前な風潮である。

でも実にいうとここ最近は、手話言語条例の制定が起こり市町村の努力や国会の動きも目に見えるように、きこえない人の存在が身近に感じるような社会環境になってきた。これは、平成以前と比べて大きく変わっているところである。障がい者を個性として多様性な共生社会に認められたからだ。

ただ残念なのは、もう少し聴覚障がいって何かを具体的に学ぶことで知るという機会がまだまだ少ないのである。学校教育のカリキュラムにまだ具体化した学習機会が定着していないからである。知るということは、交流を通して学ぶという経験であって、教えてもらい学ぶという経験は場所によって限られている。

例えば、特別支援学校(ろう学校)の先生を目指したい学生なら必ず履修することになっている。しかしそうではない学生であれば、仕事する現場で聴覚障がい者と初めて出会い、触れ合うことで気付くことになる。そしてコミュニケーションを取りたいから、市町村の手話講習会に参加する。そこで改めて聴覚障がいって何かを深く知ることになる。

というケースが多い。手話言語条例では、このようなケースを早期に行うよう、環境整備に努めているということになっている。社会資源の中で年齢関係なくどこでも学ぶことが常に出来るということが求められている内容となっている。

例えば、小学校の「総合的な学習の時間」「SHR」などの時間を使って地域との交流参加だけではなく、障がい理解という授業内容を取り入れるようにして当事者団体との交流をしていく機会を経験する。子どもたちが早期に手話ということばに触れさせる機会を与えることで、きこえない人もいるんだという学びを深める。今、高校のほとんどは福祉の勉強に障がい理解という内容を必ず実施していることになっている。だから聴覚障がいというイメージを一度は聞いたことがあるという声もよく聞かれることは、私自身も嬉しく思っている。

でもなんというか・・・。もう少し復習と再認識を深めるためにはやっぱり、当事者との交流機会が一番である。そのため、私が出来ることはこのYouTubeできちんとした情報発信をしていくことが必要と考えた。    これが第2回目「耳のしくみと支援性」である。この動画を見ることによって、改めて聞こえないことはどういうことなのかを理解していただければと願っている。

もし当たり前のきこえる耳が突然、音を失ったら・・・。どう感じますか?

このことを意識するだけでも聴覚障がい者の理解の一歩になります。