もう一つのきこえる世界とは・・・
前回の投稿では、「家族と親戚」、「大学」「バイト先」について触れて見たがここではもう一つプライベートにおける関わりについて触れていく。
ある副業として短い時間ではあったが、出会いがぐーっと上がった貴重な機会であったことをお礼申し上げたい。結局は長続きできない自分の性格上というのもあったり、また繋げてくれた人の関係性もあまり良い気ではなかったので日々経つ度に距離が離れてしまったということかな。ちなみにある副業は積極的でもないが、経済的に余裕あるときに再開出来たらと思う。
唯一、繋がっているとすれば2人だけ。しかもSNS上での連絡程度だけど時々、顔合わせてもう少し交流を深めたい信用おけるきこえる人と私の中では意識しているわけだか、相手は私のことをどう見ているかどうかは言えないね。。笑この投稿記事を読んでいるかどうかもわからないけど。照!
でも何というか、その繋がりでみるコミュニティーというのは一つの副業的な会話であって、プライベートでこの人と気が合うなーと思ったことはなかった。ただ知り合い程度って感じで交流していた。そのつながりの延長上で初めてすごいと思える人と出会ったこともあったが・・・。結局は、副業に成功した人という存在であって、私には気の遠い存在だったかもしれない。
正直いうと、その場にいるとみんな私のことを耳が聞こえないからといって優しくフォローとかはしてくれるけれど結局は、自分のことで精一杯だから情報が100%得られない時間が長かったことの空気に耐えられないという気持ちが多く何度もあった。プライベート的な交流というのは長くて20分程度だった記憶しかない。1回で終わり、長続きできないと言うのも自分の中でうまく作ることが下手だったのかなと思った。
大学時代の経験上もあって、積極的にコミュニケーションを取ろうとしても分かる気付きは浅かったかもしれない。伝えるその内容がもう少し深く整理していく内容でなければ、きこえる人は「耳がきこえない」というイメージを空気が読めない人と思われていたかもしれない。だから前述のような空気感があったと感じる。ちなみに最初に挙げてくれた2人は、個人的に私のところに声掛けてくれたから、個人的に会ってカフェ雑談したりとSNS上でやり取りしてくれている障がいという壁を乗り越えた接し方をしてくれる印象が強く、私には嬉しい限りだった存在である。
というわけで、もう一つのきこえる世界というのは一言でまとめると
空気感が孤独になるような経験は、自分には人間関係を築くことがうまくできなかったということ。
相手の相性が目的によって合わなかったということの延長上で会話が続かない。コミュニティー論としての考えが成立できなかった結果だという意味に例えることができるわけだ。(※コミュニティー論の考えについては、今朝投稿した「障がい者それぞれのコミュニティー」にあるので読んでほしい。)
というわけで、自分に合ったコミュニティーときこえる人の関わりは、これからも緊張感を持って接していくことになるだろう。その中で恋愛観も新しい発見が出来たら良いと願っている。正直、片思いがいるだか勇気が難しいのである。汗
きこえないゆえの理解と言うのは、肘につくほど悩むね。