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耳の代わりに欲しいものとは

ある日、もし耳がきこえなくなったらどんな気持ちですか。

ときこえる人に会ったら、質問したい。そしてその一人一人の声を知ることが私の気になるところである。と言ったら、変人かもしれないね笑!でもね・・・この質問がとても重要なことだと思うんだ。

耳がきこえないというのは、どんなに苦しいのかということ。これは誰一人も一度は考えてしまうことがある。そして個性だと受け入れて、聞こえないことを誇りにもって生活する。多くの人は、そう断言している。

では誇りをもっていく。個性として持つなら何かあるのか。それが耳の代わりにという必要性だからだ。ここでいう耳の聞こえの理解や支援の必要性についてを私なりに解釈したのが、第4回「耳のきこえを保障する」の動画であるので、ぜひ視聴してもらいたい。

 ようするにきこえの代わりとして出来るのが3つの情報伝達手段を補う措置、いわゆるアクセス権を発揮する武器になることである。この使い分けによって、きこえる人と同じ立場になって生活ができるという自信がもてるようになるという。自己アイデンティティの確立のための一歩である。

・補聴器と人工内耳

・手話言語と要約筆記

・音声認識アプリの活用

この3つについて、まとめていうと情報保障支援といったことを学問として深く学び始め、しっかり知識を持つようになったのは大学に入ってからである。本来ならば、もう少し早く高校の時から学んでおけば良い内容でもある。

高校は社会への入口として重要なので、ぜひこの3点についてをもう少し具体的に学び、身に付けていくという学習の高度化をろう学校または聞こえない子どもの通っている学校には絶対に実施してもらわないと困る!ということを指摘しておきたいですね!!

私が大学時代の時にある講義でのレポート課題で提出したデータが残っている。当時のまとめたものを再編集した上で引用する。

 医学モデルによって⼈⼯内⽿を勧めて聞こえる⼦どもたちと同じように聴⼒効果が⾼くなるという誤解を保護者に伝えてしまうのはおかしいと考える。補聴器も聴覚の障がい程度によって聞こえがよくなることもあり、有効な情報保障の補助⼿段である。その補聴器の選択より、管理を使⽤者⾃⾝がきちんと理解するために、あらかじめ聴覚管理についても教師主体ではなく、生徒自身が考えさせ触れていくようにすることも⾃⽴活動などにおいて指導する必要があると考えている。⼀⽅で、聴覚が軽度の⼦どもたちには障害⼿帳が認められなく、補聴器を交付することができない課題もある。混合性難聴や後迷性難聴、加齢性難聴の場合は⽿の中にある神経系などの部位に障害が残り、有⽑細胞の働きがけてもきちんと機能していないから聴覚障害ではないという事例もまだまだ消えていなく起きていることが残念である。 
 ⽇本⽿⿐咽喉科学会が⽰した⼈⼯内⽿の適応基準について、全⽇本ろうあ連盟(2016)が⽰した「⼈⼯内⽿に対する⾒解」では、『保護者が「きこえ」に対する過度な期待を持つことのないように理解してもらうことである。聴覚障がい児は「⽬の⼈」と⾔われることもあるが、コミュニケーションを完全に達成できる⼿段は「視覚⾔語」の「⼿話」であり、「⽂字」であることを⼗分理解し納得してもらう。「⾳声で話せること」は、それを受けるきこえる⼈にとっては助かるものの、聴覚障害児・者⾃⾝は、静かな場所や聞きなれた声の⼈との会話はある程度可能だが、きこえる⼈と同じきこえ
⽅ではないことを理解してもらう。』
と述べている通り、私が関わってきた⽣徒の中では、きこえの機能が全くしていないのではなく、⾳源から離れば次第に減少していく。弱くなっていることの表れは障害でも関係なく、誰でも同じ障壁にぶつかって悩み始めることの課題に向き合った経験もあり、⼈⼯内⽿が正しい選択ではないと考える。⼈⼯内⽿をつけるかどうかで⾳を聞きとる検査より、ことばの聞き取りに重視を⼊れてきちんと療育していく
ことが⼤切だと思う。
 特に⼈⼯内⽿をした⼦どもたちは、ことばの習得が 100%できるのか。聞き取り検査で正しく取れているのか。この結果は、100%できていないと理解することをきちんと説明しておくことが必要と私は考える。補聴器も⼈⼯内⽿もほぼ変わらない。ただ⾳を拾うだけで正確に発⾳を認識できることは難しく、視覚的辞書を働きがけていくことになる。⽬で⾒て情報を得ることで理解していくことが⼤事であり、⼿話も聴覚活⽤と同じように視覚⾔語と
して⾒ることは⾔語として認められることから、常に指導するなかで⾳を理解すると同時にことばの意味を学ぶためにもボトムアップ法が重要な役割だと⼼掛けてこれからの聴覚障がい教育の中で常に取り組んで⾏きたい。(※2015年S大学の講義課題レポートにて作成したものを再編集の上で引用した。当時の元データ内容での評価は、S評価である。)

 ここで挙げられている太字の部分を抑えることを意識して動画配信している。今後も少しずつ、内容を整理した上でみんなに知ってもらいたいと思っている。

 今の世の社会は、残念ながらコロナウィルスを感染させないようにという対応としてマスクといったことがいつもの日常を変化してしまった。私たちにとっては、新たな障壁でもある。続きは改めて詳しく述べていくが、マスクをするということは、耳がきこえない代わりでもなく目で見ることばを失っているのと同じ意味である。

難聴者にとっては苦しい部分であるので、透明マスクの普及、そして感染対応に応じた距離を取って口の形が見えるように話すことの配慮することも気遣いとして、改めてお願い申し上げたい。