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ことばの獲得を振り返って

 大学時代に作成したレポートを整理するにあたり、「ことばの獲得」を自分の経験から今の早期教育に対して伝えていきたい。以下、当時のレポート内容(2010年8月作成)を再加筆、修正したものとして引用しているため文章内にある背景と現状は異なることに留意して、読んでいただければ幸いです。

私の経験から見るこうして欲しい教育的配慮の考え方
―幼年期から少年期(1・2年)へのことばの習得とコミュニケーション手段の成立―

 現在の聾教育はかつて、昔は聴覚口話法で強く勧められていた時代があった。私が受けた乳幼児~小学まではその時代の最中である。手話(※1)は禁止され、聴覚活用による教育が主である背景で受けていた。理由としては、社会に出て円滑に健聴者(※1)とコミュニケーションが成り立つために必要であるからである。でも今は、特別支援教育の転換に伴い、一人ひとりのニーズに合わせて個別の指導計画を作らなければならない考えが据えているほかに聾教育もコミュニケーション手段として手話の必要性が高まり、教育的配慮の中で手話教育が進められるようになった。
 幼年期の教育を考えるとまず、生活体験の中でことばを得ることが多くなってくる。たとえば、散歩・お出かけ、絵描きや絵本と紙芝居の読み聞かせ、日常の出来事を書く絵日記がある。小さい頃からそういう機会が多い。それは健聴者の子どもと同じだ。しかし1つだけ違いがある。聴覚障がいを持つ子どもの場合、声が聞こえない。つまり、風の音など自然な音を感じない、また親などの声も分からずコミュニケーションがうまく理解できない。そういったことを僕自身も感じたことがある。そんな中でどのようにしてことばを獲得していくのか、またコミュニケーションをうまく取れるには、どうすればいいのか考えなければならない。これが教育にとって一番重要なところだとして考察する。

 私個人的な考えだか、小さい頃から指文字を指導していくのも良いかと思う。子どもは視覚的に見て覚えて行くわけだから、いきなり口の形を読むのは難しい。まず指文字から少しずつ身につけておいた方が言語としても成り立つじゃないかと思う。指文字、キュード・スピーチとしてアメリカでも幼年期から使われていると聞いたことがある。だから日本でも小さい時から指文字を学ぶのも必要だと思う。ことばの習得が出来た時に次は、聴覚活用した指導法で口の動きを読み取る訓練をしてあげた方が聴覚障がい児に苦しみを与えない優しい指導法だと思っている。個人差は、それぞれあるけれどその方が望ましいと考える。
 でもことばの習得からコミュニケーションを成立するために聴覚障がい者が身に付けなければならないことがある。それは「手話」である。手話を第1言語として音声言語を第2言語として身につけてコミュニケーションを取る人間になってほしいのが私の考えである。なぜかというと全てが手話で話せるわけじゃないし、音声言語が出来なかったら、健聴者との意思疎通も難しく生活上では成り立たない。また話し言葉だけではなく、書き言葉の時にうまく書くことが出来ない国語力の問題もある。そのことを考えると幼年期から小学1・2年の間でこれらのことをきちんと学んでおく必要がある。前節で述べたように幼年期は、指文字から視覚的に覚えていき、口の形を読む訓練を行うとある程度のコミュニケーションは出来るようになってくる。1・2年では生活体験を日記に書いてもらい、国語力の指導を合わせながら書き言葉と話し言葉を徹底的に教えていくべきだと思う。最近の子どもは、話し言葉と書き言葉を混ぜて間違っている使い方をする。私も同じ経験をしたことがある。

 私が受けていた当時は日記だけではなく、生活体験の中で読話重視を繰り返していたために時間がかかった。ことばの習得に時間が多くかかったことを覚えている。だから円滑に時間を無駄なく伸びていくような指導法として考えて工夫する必要がある。その一つとして手話を禁止するのではなく使っても良いと思う。ただ子どもは、急に手話を覚えることが簡単ではないから、意味を合わせて手振りで視覚的に覚えさせていくべきだ。
 そして視覚的から聴覚活用への応用で教育すれば、健聴者に負けずと社会に出ても出来るような人間になれるじゃないかと私は気付いた。今の教育を見ていると聴覚口話法と手話法など様々分かれているという現状が違和感である。聾学校に通う以上は、聴覚障がい児に対する教育として何か一番ベストなのかを考えていかなければ、何のための聾教育なのか曖昧である。
 幼年期は、視覚的に指文字など音声に頼らない工夫をしながら言語を獲得していく方法を身に付け、1・2年でそれを活用して生活体験の中で手話を身に付けながら音声言語を指導しつつ、コミュニケーションを確実に取れるような人間づくりへと成長していくことが望ましい。また脳の発達(※2)的にも今更遅くはないと思うのが私の結論である。           (※S大学の講義「聴覚障害教育総論」レポート提出より、2010年8月)

※1:「手話」「健聴者」と使用しているが、2016年より背景が変わり「手話言語」「きこえる人」と言い換えていつも使用するように心掛けている。これについては、後日に改めて説明したい。

※2:「脳の発達」については、「デフスタディの時間に迫る」マガジン内にてもう少し詳しく掘り下げた内容を配信する予定で準備中。そのあとに投稿して詳しく述べていく予定である。