見出し画像

ろう者の世界観に触れる

ここで挙げる私のろう者の世界観というのは、以下の通り。

10代前半→ろう学校

10代後半→全日本ろう学生懇談会、聴覚障害者協会青年部

20代→聴覚障害者協会、聴覚障害教職員懇談会

30代の現在→ある某団体の聴覚障がい児支援団体

特に高校卒業から、20代は役員を背負うことが多く全国各地に出掛けることも1年に4〜5回は多かった。その経験を通して、全国各地の情報など色々と持っている私には、北海道の現状に対して改善したいという気持ちも妥協したくない強い自我が生えてきたといっていい。北海道と比較してしまうと考えさせてしまうような問題点もいくつか持っていると強く自負する。この違いについては、少しずつ「デフスタディの時間に迫る」内の投稿記事で伝えていきたいと考えている。ぜひ読んでもらいたい。

ここでは、人生を振り返るお話なので簡単にまとめたい。

ろう学校までは、ずっと大人に言われてハイハイと受け止める姿勢が多く何かについて真摯に取り組むというような経験はなかったといっていい。何かに取り憑かれたかのように目標ということを持った経験はなかった。サッカーに夢中で先輩と過ごしていたという思い出しかなかった。

朝6時に起床→グランドで先輩と朝練習したり、夕食後の自由時間も先輩に混ざってサッカー自主練習したり、夜の自由時間では先輩の部屋に行ってサッカー雑談やゲーム・・・といった感じでとにかく先輩の人間関係は強く、なんというか上下関係をうまく利用したって感じに生きていたわけである。その先輩の関わりについては、別日に振り返って書いてみようと。笑

卒業後は、S大学に進学する。そこで初めての経験をしたのが情報保障支援を中心に活動するバリアフリー委員会の活動で、支援学生の育成・交流というところで何かを考えるという取り組みを考えることになったわけである。これが、今後の人生において最初のきっかけであった。

そして「全日本ろう学生懇談会」という組織に誘われて年に一度の集いが北海道で開催することから実行委員を経験し、その経験の延長上で懇談会役員となり3年半務めながら全国各地の高等教育機関に通う聴覚障がい学生の現状を把握し、課題を収集して発信する・課題を改善できるよう組織の基盤を整えて行くためには何か。という視点において活動してきた大学4年間だった。

その大学4年にちょうど行われていたある交流会にて、地域の「聴覚障害者協会青年部」の先輩役員から声がかかり、自然に入会してすぐに年に一度、開催される全国ろうあ青年研究討論会の北海道開催に向けた実行委員会に入る。学生の集いの経験をお話しした経緯から、事務局員として準備に関わってきた。集いの経験もあり、会場交渉や関係団体への協力はうまく助言できることのスムーズな貢献をしてきたと思っている。その成り行きで地域協会の方々にも目に置くような存在になってしまった。照れ臭く、お恥ずかしい限りである。

こうして青年部の役員で全国委員、中央委員と全国的な役員の立場で関わる機会も頂いた。住んでいる地域と北海道と全国の役員を兼任するという重責な立場で活動していた4年間は、色々と大変なこともあったが一方で良い経験を色々と頂いたり全国各地に回ることで楽しく観光することもあったり、美味しいグルメなどを食べることも経験してくれた。お金はかなり飛んだけれど、逆に人脈や情報量の大きさをもらうことはとても収穫が良かったので、後悔はない。

今、その立場から急展開で平社員に格下げしたように一会員として情報量もあっという間に得ることが少なくなってきた。ここ2年間の情報は、全く把握していない。役員の顔触れも変わり、その人の特徴とかも知らないこと多いわけである。非常に情報を得て活動することの違いを感じている。

青年部活動で得られたことは、別日に詳しく述べていくがきこえない世界ならの若い課題が多く気付かされた。手話言語条例を通して改善し、ゆりかごから墓場までの社会環境整備に時間が許す限りは、進展していけたらと思う。

また自然に若さとその行動力から、住んでいる区の支部役員に選出されそのまま理事会に選出される。そして地域の聴覚障害者協会の理事として地域の団体活動に関わることになったのである。事情があって、理事会を任期途中で辞退したわけだか、3年間(※一度、落選経験して復帰したので合計5年間)を通して、北海道の聴覚障がい者における社会現状を把握して考えさせることは良い経験を頂いたと思う。

一方でもう一つ同時並行しているものが、実は前職場は教職員であった。そのため、大学時代からある団体に入会して関わってきたのが、聴覚障害教育を考える北海道連絡協議会である。全日本ろう学生懇談会支部役員と同時に加入しているその団体で会員ながら意見交換させたことを機に運営委員に選出され、全コンを卒業後はそのまま運営委員として継続させてもらった。そこで経験したのが、ろう教育を考える全国討論集会の北海道開催である。北海道開催にあたり、分科会「情報保障と高等教育」担当を経験してもらった。高等教育機関における情報保障支援についての分科会である。全コン役員の経験上を活かす最大の機会であったわけで、改めて北海道に情報保障支援の必要性を周知することが出来た思い出がある。

また同時にちょうど特別支援教育制度の始まりと言われ、ろう学校改名の動きがよくニュースになるほどの問題点となっていた。もちろん、北海道も噂が出ていたので当事者団体として反対運動を取り組んできたことに参加した。結局、北海道は改名することなく「ろう学校」の名称を残していく。その代わり専門性をしっかり高めるように努めるという姿勢であったわけだか、現在は残念なところに専門性は、低下していることの課題が多いわけであり、非常に残念。その結果は何か。ろう学校に通う生徒数の減少と普通学校に通う児童生徒の増加や人工内耳の増加による社会的障壁の課題というのが目立つようになるわけである。あの時の約束は、何だったのか。特別支援教育制度の充実というよりは、当事者団体の要望をあまり前向きに受け入れずに国の都合良い施策にかけ過ぎていたという怠慢さしかないわけであると断言する。

現在、解散して連盟に運営主体を吸収するという形となったが連盟が今後しっかり対話することで改めて聴覚障がい教育に対して学校側の専門性を向上させ、改善できるように努めなければならない時代に入っている。私も違う立場から、関わっていくように個人としても継続していることはある。

ということで、30代になった今はこれらの経験上で非常に情報量は多く持っている。役員という肩書きも全く持たない一会員となってしまったが、自分で持っている姿勢は許されないので少しでも周りの人に伝えていく姿勢を持ちたいと思いつつ、改善できるようにすることは取り組んでいくということで、YouTubeやこのnote投稿記事を通して発信していく。

またいつかは理事会に選出するような機会があればいいし。また役員としての声がかかればその時でも自分の気持ちをもう少し整理してまた違った視点を持って活動していけるように今後も学ぶ姿勢に変わりない。そして最終的に理想あるろう社会という日本を作り上げて行きたい。きこえる人ときこえない人が共生できる当たり前の社会であることを。