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聴覚口話法の限界

(※画像は、大学時代にあるサークルの合宿で撮影した一場面である。手話サークルに入ったが、手話サークルというよりは娯楽サークルといったメンバーで楽しかった思い出である。)

タイトルを見て、第一印象はどう考えますか?きこえる人にとっては、ピッとくるのは何か。それは、意思疎通の困難さである。と言うことは多いだろう。でも私は、これが正解ではない。少なからず、困難さがあったとしても乗り越えられることはいつでもどんなことでも、情報伝達の方法次第ではクリアできることだからだ。これについては、もう一つのマガジン「デフスタディの時間に迫る」内の投稿記事でいくつか挙げていきたいので、気になる方はぜひそちらもチェックして欲しい。

ここでは、人生を振り返っての話なのでざっくり書くことになる。

私にとっての限界は何か。それは、人間関係の構築する力であるということだ。生まれながらにしてまず出会う世界はきこえる世界=家族と親戚である。

ある法事などで親戚が集う機会が多くあるが、私にとっては苦痛という気持ちしかなかった。なぜなら、全く会話に参加出来ず、楽しくない。親戚の子どもたちと遊ぶことも分からないくらい、記憶もない。というより関わりが薄かったと親から改めて聞いた。確かに成長した今、親戚って何だろうかという存在があまり強くピッとこないほどあまり好きでなかった。

そんな私は、学校できこえない子どもたちと遊んだり、勉強し合ったりすることを18年間も続けてきた。その中で喧嘩もあったし、当たり前のような人生を送っていた。その世界を飛び出して、きこえる世界に入った。

きこえる世界とは、大学から始まるわけである。もちろん最初は、どのように関わっていけばいいのかという不安が大きかったという記憶があった。幸い、その不安を払拭したのが大学内に障がい学生支援ができるサークル「バリアフリー委員会」という存在であり、その先輩学生たちや一緒に入ってくれた同級生らがとても親切に語ってくれたり覚えたての手話でコミュニケーションをしようとしている姿だったのである。

手話勉強会が終わった後に近くの飲食店で終電ギリギリまで語り合ったりと金曜日の夜が唯一のリラックスでとても楽しい日だった。その先輩学生や同級生の何人かは現在、聴覚障がいだけじゃなく障がい者と触れ合う職場に赴くことが多い。とても恵まれていたんだなと言っておきたい。

ただその時間を除くと他に何か。それはゼミの集まりしかないわけだか、うーん。正直、仲深かめること出来たかどうかは微妙なところだと後悔している。現在、連絡が取れているのは2人だけでしかも1、2年の時のゼミと4年生だけのゼミメンバーそれぞれ1人ずつである。4年ずっと親切に繋がってくれたYくんとは、あまり会えないし、連絡も取っていない。今頃は結婚して幸せな家庭を持ちながら頑張っているようだとSNSで情報を得るくらいだ。

時間が許せるなら、もう一度大学に戻ってしっかり仲を深めるように努力すれば良かったと思うし。大学生らしいこと出来なかったことが多く、改めて人間関係の構築する力を激しく後悔していた4年間だったと思う。唯一、繋がっているNさんには感謝の一言を直接会って伝えたいぐらいだ。(片思いしていた時期も正直あったがこの時の私は、勇気がなくて自分のことばかり考えていて情けなかったかもしれない・・・笑)

というように家族と親戚、バリアフリー委員会、ゼミメンバーという3つの人間関係について振り返ってみたが要するにきこえる人との人間関係を作るということは、苦手だったというまとめである。

前の職場上においてもやっぱり上手くいかなかったのかなと改めて現状を強く感じているわけである。裏切られている印象しかなくて、情けない人間不信の気持ちが今も抱えているし、恩師にも上から目線で全く相手にしないということは、人間関係において私がどうもダメだった行動をしているかもしれないと考えることも一つの苦しみである。

そして、現在あるバイト先での同僚の扱い方に非常に悩んでいる。そのため、店長にはいつも相談とか愚痴るなり、色々と迷惑かけてしまっている自分がいる。最初は好感触だった同僚は、いつ私が嫌なことをしていたのかと思うぐらい、関係が気不味く良い関係とはいえない状態で一緒に仕事しにくくなっている。大学時代や前職場のときには経験したことない初めての悩みという経験を今感じているわけである。その同僚は、年齢は年下で若い女性であるが、職場内では先輩でもある。だから先輩という立場として見たとき、年齢どころでもなく言いづらいのだ。ファーストフード業ならのあるある悩みかな。

30代になり、年下に対しての接し方を改めて考えなければならない時期になっただろう。上下関係を厳しく過ごしてきた私が柔軟にコミュニケーションを図ることで、人間関係を築くということの力をまだまだ積み重ねなければならない。強いていれば、きこえる人の文化というものを怖く感じながらも打開できる方法を身につけたい。

きこえる人の関わりを記したが、次はきこえない人の関わりについて述べていきたい。