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障がい者それぞれのコミュニティー

タイトルにはコミュニティーについて触れている内容であることを伝えるつもりであったが、実際は捉え方が多様であるといっておく。私が述べていることは、一般的に言うと集団生活のことを指している。

第5回「ろう者の歴史から手話を知ろう!」の動画は、学問的でもなく人間が生活する上で成立するそのものを分かりやすく伝えていると思って、視聴していただければ幸いである。

聴覚障がい者の場合、手話言語であるから当然言語圏の話になるわけでこれを歴史的に振り返ってみたらどうなるのかという視点であるが、もう少し視野を広げてみるとしたら聴覚障がい者だけが特別というわけではない。

きこえる人だったらそのコミュニティーそれぞれいっぱいある。

LGBTなら、そのコミュニティーもある。

車椅子だったらその人のコミュニティーもある。

視覚、知的、病弱それぞれの障がいだったらその人のそれぞれに合ったコミュニティーというのもある。

ようするに人それぞれが違う個性を持っている。その個性同士でつながっている集団生活でコミュニケーションをとるそのもの次第があるのは不思議でもなく、自然的に発生するわけである。

コミュニティの元来の意味は、「共同体(あるいは地域共同体)」です。
この言葉が最初に提唱されたのは、ロバート・M. マッキーヴァーによって書かれた『コミュニティ』(1917)と言われ、引用して次のようにまとめる。

社会集団を「コミュニティ」と「アソシエーション」に分類し、以下のように区別している。                         「コミュニティ」                          一定の地域において営まれている自主的な共同生活           「アソシエーション」                        ーコミュニティを土台として、特定の目的を実現するために形成された集団共通の関心事や目的意識を持った人たちが集まり、自主的に作った組織                                (中略)また、コミュニティの基礎的条件として「地域性」と「共同体(コミュニティ)感情」を掲げている。                 (※ロバート・M. マッキーヴァー著『コミュニティ』(1917)より)

このように私が、大学1年の講義「社会コミュニケーション論」で始めて知った学問の教養であったために、印象強く覚えている。これを言いたくてこの投稿記事を改めて書いてみたい。ではもう一つ、気になるのが「コミュニティー」というより「組織」である。

とある集団をみた時に、「組織」的な見方でみることもできれば、「コミュニティ」的な見方をすることもできるという、パースペクティブ(ものの見方)による違いだと考えているので、それぞれの障がい者団体が取り組む様々な活動ができる社会背景というのは、強く意味が置かれているような存在であると見受けている。

<コミュニティ論的な捉え方>                   ・社会学に基づく捉え方        ・集団を脱中心化して捉え、固定的な構造や明示的なルールに縛られない ・所属メンバーそれぞれが異なる目的を持つという前提に立つ
<組織論的な捉え方>
・経営学に基づく捉え方
・集団に中心を起点として、構造やルールを持った視点で捉える
・所属するメンバーが共通の大きな目標を有しているという前提に立つ (※S大学講義「社会コミュニケーション論」jukouの内容メモより)       

これらについて、私は専門家でもないのでここまでにするがここに記している社会学に基づく、経営学に基づく考え方というのは確かにそうであるかもしれないと自分の経験上で学び得ることが多かった。

青年部活動の例えでいうと、社会構造に対してどのようにして適応するには交流会を通してきこえる人との共生を目指しているということがコミュニティであって、人それぞれの得意なところを活かして目標を達成するために連携を取りながら事務的な準備などを図るというのが組織であると2つの視点で分けて考える方が分かりやすい例だろう。

しかし、初めての方や未加入の非会員の多くは、なぜか組織というイメージが強くて入会しないとか関わることが苦手という声が多いわけである。私は、そのことで上手く説明がまとまらずに新しい人を引っ張る力が足りないと日々、感じていた・・・。

これは真面目な悩みであるが、視点を変えてみるとコミュニティという部分をもう少し強調するべきな点をアピールすることを工夫しなければならないと最近、気付いたのである。YouTubeの動画配信もその一つである。

楽しいということの雰囲気を伝えることも必要だか、障がい自身の自己アイデンティティの同じ共感部分を大きく取り扱うことにより改めて「自分探し」を与えるきっかけになることも必要である。これが組織のイメージを感じることではなく、ようするに仲間づくりという視点において一緒に乗り越えていくという気持ちを育てることが障がい者団体ならの強いメリットではないだろうか。

さいごに失礼ながら、高齢の役員たちよりそろそろ交代することで考え方をリフレッシュして新しい時代に合った活動の在り方を模索する時期に来ているかもしれない。と一言、心の中に閉じる。