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カツ丼が卵でとじられていない可能性

こんばんは、ちーさんです

「キルラキルみたいなこと言う」を自分でひたすら考えてたんですが、今のところ「最上もが」が優勝です

いま最上もが以上の傑作が出てこないあなたは下のブログを読んでください。モデル中山咲月さんが自分の性別を自称したくないこととその理由、その他悩みなどの諸々を書き殴ってあるブログです。すごいよ

これを読んだその日の深夜に私がド・殴り書きをした文をほぼそのまま下に貼ります。内容はこのブログ読んだ人向けです

この時は特に「トランスジェンダーを自称するのが嫌」みたいなところにフォーカスして書きました。性別とかのむずい概念は出てこないので大丈夫です。中山咲月さんは推しです

〜以下長文〜

男、女以外の性別に名前をつけることで、自分の性別をどう説明したらいいかわからなかった人には大きな救いになった

生き物は理解不能な何かに対して必ず恐れを抱く。しかし人間はその何かに名前を付けることでそれを既知の型(概念と呼ばれる)にあてはめることができ、恐れを解消することができた

性別に関しても同じことが言えて、「男でも女でもない何か」に名前がつけられたことで理解が浸透し、それが深い理解や議論を促すための大きな一歩となったわけ

名前には必ずなんらかの定義があり、自分の性別がどの名前の定義に最も近しいかを選んで使うことができる。しかし定義があるということは名前の弱点でもあり、例えばレスビアンを自称する女性はレズビアンの定義、イメージに当てはまらない性的な特徴、思想を認識されにくくなったりする

これはどの性別にも言えることなのね。つまり名前というのは定義以上の役割を果たさない。性別は本来定義にあてはめること自体難しいのであり、LGBTのどの性別の定義とも完全に一致しない性別が存在する。名前をつけることは確かに便利だけど性別に関して言うとこういうリスクがある

加えて、名前がつくことでその対象に何らかのイメージやステレオタイプが発生するというデメリットもある。世間からするとオタクはデブメガネなのであり、我々はそうではないことを知っている。認識のズレは性別の議論において致命傷になりかねない

だからこそ慎重な議論や判断、理解が必要なのである。本来人の性別は定義にあてはめることは不可能なのであり、その上でLGBTなどの名前をつける行為は成り立っているのだということが認知されるべき

あと今自分の性別に名前が付いている人はもう一度それに向き合ってみてもいいかもしれない


以上です。ぶっちゃけ性別って性格と同じでどうやっても完全なジャンル分けってできないので、個人によって色々あるのかな〜ぐらいに思っとく感じでアリなんじゃないでしょうか

私も各性別に名前をつけることに漠然と莫大な疑問を持ってたのであのブログ読んでよかったなと思っとります

ご意見ご感想などぜひぜひshareしてお書きまくりください。サムネの本棚で奥にあるやつは全部恩田陸です

おやすみなさい。

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